第20話 【紫陽花の記憶】

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病室が並ぶ廊下を突き進むと、【カンファレンスルーム】と書かれた扉が姿を現す。 主に病棟のスタッフで勉強会やミーティングなどの話し合いを行う際、また患者やその家族へムンテラをする際に利用する多目的室だ。 今、この扉の向こうで香川さんが私を待っている。 香川さんが私に近づき話しかけて来たのは、蔑んだ眼をして雪菜さんの病室から「出ていけ!」と私に怒鳴った、あの日以来はじめての事だ。 ……今になって、私に何の話が? 幸せだった日々は瞬く間に壊され、先生との関係は崩れ、咲菜ちゃんからも引き離されて、全て彼女の思い通りになったと言うのに…… それでも尚、まだ私の心臓に杭を刺すつもりなの? 私を見下ろしながら浮かべた彼女の笑みを思い出し、込み上げる悔しさに唇を噛む。 出来る事なら香川さんと関わりたくは無い。 心身ともに衰弱しきっているこんな状況だからこそ、尚更に。 だけど…… 「同じ職場にいてこれだけ顔合わせてて、逃げ出す事なんて出来ないしな……」 大きなため息を吐く度、圧し掛かるような気怠さが増してくる。 扉を見つめながら深呼吸して肺一杯に新しい空気を送り込み、意を決してゆっくりとその扉を開けた。 病室の広さ程の空間には、プロジェクターの画像を映し出すスクリーンを正面にして、長机が連なりコの字型に並べられている。 伸ばした視線の先にあるのは、ガラス窓を背にして壁にもたれ掛かり、自分の手の中に飛び込んできた獲物を目で狩る彼女の姿。 「休憩中に呼び出したりしてごめんなさい。昼食は終わった?」 首をほんの少しだけ傾げ、リップで光る艶やかな唇を引き上げて彼女が笑った。 昼食? ただでさえ食欲が無いのに、更にあなたに呼び出されて食べ物が喉を通るはずも無い。 「はい、終わりました。私に話って、何ですか?」 すり抜けるように軽く受け流し、早くこの場から立ち去りたい一心で声を急がせる。 「そんなに慌てなくても。休憩時間はまだあるんでしょ?」 「……」 「食後に一緒に飲もうと思って、あなたの好きなイチゴオレを買って来たの。昔からあるこのパックの種類のイチゴオレが一番好きだって、以前話してくれたよね?……私があなたを友達だと思い込んでた頃に」 香川さんは苺の絵が描かれた長方形のパックを手に持ち、扉の前で立ち止まる私を見据え口角を歪めた。
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