第20話 【紫陽花の記憶】

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緊張と悲愴が漂う中で重なり合う視線。 「……どこだ?」 「え?……」 「荷物をホテルに運ぶんだろ?送って行く…」 鍵が握られた手を素通りして、彼は私の足元に置かれたキャリーバッグに手を伸ばす。 ……送って行く? 想定外の言葉に耳を疑う。 突っ立つ私は悪い夢でも見ている様な目をして、腰を屈める彼の背中を凝視している。 「荷物はこれだけだけじゃ無いだろ?急いで運ばなくていい。いつでもその鍵を使って取りに来ればいいから…」 呆然とする私の顔に目を向けようとはせず、彼はキャリーバッグのハンドルを掴んで自分の方へと引き寄せた。 深い悲しみと悔しさが交錯し、黒い影が心を覆い渦を巻く。 「…ここへは、二度と来ないから」 突き上げてくる感情と悔し涙を堪え、地を這いつくばる様な声を落とす。 そして次の瞬間、彼の口から言葉が放たれる前にバッグを掴んで奪い返した。 「あとの荷物は全て運びだしましたから、ご心配には及びません」 「全て運び出した?…」 眉間にしわを刻む彼。 「…帰るのはホテルじゃありません。引っ越し先が決まりました。…だから、この鍵はもう必要ありませんから」 私は喉の奥から掠れた音を絞り出し、今度は鍵を握っている手を開いて彼に突き出す。 私の手のひらに降り落ちる彼の視線。 行き場を失った小さな鍵が、私の手の中で微かに震えている。 受け取る様子も見せず、ただ石の様な固い表情をして黙りこくる彼。 私はその場でしゃがみ込み、自分の足元にそれを置いた。 「…確かにお返ししましたから」 しゃがみ込んで小さく背中を丸めたまま、鍵を寝かせた冷たいフローリングの上に声を落とす。 「麻弥……」 「……さようなら、先生」 私は再びバッグのハンドルを強く握りしめ、彼を押し退けるようにして玄関の扉を開けた。 そして勢いに任せ彼に背を向け、逃げ出す様にエレベーターに向かって走り出す。 「麻弥っ!」 閉じて行く扉の隙間から、私の名を呼ぶ彼の声が聞こえたような気がした。
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