第20話 【紫陽花の記憶】

15/37
前へ
/37ページ
次へ
キャスターの回転音が響き渡る。 二つ並ぶエレベーターの前に着いた時、耳を澄まし、息を飲んで後ろを振り返った。 「何よ…あの時と同じじゃない。あの雨の夜と…」 ……結局、追いかけて来てくれないんだ。本当に、先生はこれで終わりで良いんだ。 バカみたい。私…… 「ホント、馬鹿みたいっ!」 迫り上がる虚しさを振り払うように言って、エレベーターに走り込んだ。 一階のエントランスホールを抜けて正面玄関の扉を開ける。 外気に曝されたと同時に体に纏わりつくのは、湿気を含んだ生ぬるい風。 嗚咽が残る喉に大きく息を吸い込むと、緩んだ涙腺から再び涙が零れ出した。 ……二度ともとには戻れないって、分かっていた筈なのに。 現実は変えられないって分かっていた筈なのに。 彼を目の前にすると心が揺れる。 彼のあの目に見つめられると、また甘い夢の続きが見られる様な気がして胸が焦がれる。 忘れようって決めたのに。忘れたいから、深津さんの手を掴んだのに。 ―――バカバカしいほど往生際の悪い女。ここまでコケにされて、いい加減目を覚まして諦めたら? そう自分に言い聞かせるほどに、止めどなく流れ落ちる涙。 赤い目を何度も手で拭い、強引にハンドルを引いて駐車場の片隅にある車に向かって足を速める。 何かから必死に逃れるように走る私の異変に気づいたのか、運転席に見えていた深津さんは車から降りて私を迎えに歩み寄る。 「……安藤?」 「深津さん…ごめん、私……」 自分でも何を伝えて、どんな顔をしたら良いのか分からない。 私は涙で崩れた顔で曖昧な笑顔を作り、唇を戸惑わせる。 「…どうした?何かあったのか?」 正面に立つ彼は眉根を寄せて、窺うように私をジッと見つめる。 「……うん、あのね、あれから…」 肩で息をする私。 深呼吸をして次の言葉を絞り出そうとしたその時、微かに背後から足音が聞こえビクッと体を縮ませた。 「麻弥っ!」 私の背中に突き刺さる声。 そんな……まさか…… 「……安藤、あれってお前の…」 マンションの正面玄関に視線を飛ばす深津さんは、その目を大きく見開いて声を漏らした。
/37ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1749人が本棚に入れています
本棚に追加