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「ママー、あったよー。マーマー!」
ハッとして振り返り、それが幸せな幻聴なのだと知る。あの子がわたしを「ママ」と呼ばなくなって、もう何年経つのだろう。あの瞳に宿る陰を意識し始めてから、もう何年になるだろう。
「佐知子さん。たくさん採れたね」
草むらの向こうから歩み寄ってくるのは、あの日の息子ではない。わたしの大切な人。あの子とは違う次元で、大切な人だ。
手に提げたビニール袋の中には、きゅうきゅうに収穫された土筆たち。毎年春の恒例行事、河川敷での土筆採り。いつのまにか、その相手は息子から彼へと変わっていった。それがかなしいわけじゃない。ただ、嫁にいく前のセンチメンタルな気分に浸っているだけ。再婚したからといって、わたしとあの子の母子関係が変わるわけでもないのだから。
「今日、よかったのか?」
「なにが?」
当然のように差し出されたジェントルマンな手を取り、立ち上がる。少しだけクラッとして、思わずぎゅっとしがみついた。
「シズルくん。帰ってきてるんだろ?」
肩を抱かれて歩きながら、少しだけ頭をもたれかけてみた。安心する温もり。もうすぐ正式に手に入る優しい光。わたしをずっと支えてくれた胸。
「お花見ですって。シズルが地元の友達と出掛けるなんて珍しいわ」
「気を利かせてくれてるんだろう」
「あなたのこと、一目置いてるみたいだから、あの子」
「本心では反対してたりしないかな? 僕はいくらでも待つよ」
「わたしが待てないから」
「……佐知子さん」
「本音よ?」
「……ありがとう」
麗らかなひより。遠くの山の桜が満開だ。ピンク色のアクセントが、かわいらしく緑を彩っている。足元には土筆。意地らしく生きる自然の恩恵を受けて成り立つわたしたちの愛。
彼の静かな愛情を受け入れ、わたしは女としてのわたしを思い出すことができた。そして同時に、息子が密かになにかを抱えていることに気づき始めた。
問い質すのは怖い。けれどあの子があらぬ方向に悩んでいるのなら、大丈夫だよと抱きしめてあげたい。わたしはなにがあっても見限らないし、力になりたいと思っていることをわかってほしい。
わたしには抱えきれないことなどない。だってわたしには彼がいる。わたしを守ってくれる人はちゃんといる。あなたが我慢したり無理をしなくても、生きていけるから。
「幸せにしてくださいね」
わたしを。そして、シズルを。
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