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金曜日の夕方、繁華街へのパスポートはそんなに甘いものではなかった。
噎せ返るような人の匂い。
ドアに押し込められるようにぎゅうぎゅう詰めにされたわたしは小さくなって変則的に訪れる揺れに翻弄されながら、颯太の顔を見上げていた。
電車通学の経験がないわたしは、押し黙ったまま誰も声を上げることもない静寂に気まずさを感じつつ、そのまま時間だけが過ぎていく。
隣駅で人の出入りがあり、いくぶん圧が緩まった車内にホッと息をついた時、突然、腕をぐいと引かれた。
発車ベルが鳴り響き、ドアが閉まる。
ドアを背にするわたしの真正面にいる颯太の手が挟むようにして置かれた。
颯太の腕に護られている感覚に鼓動がおかしく揺れ、わたしをまっすぐに見下ろす瞳がすぐそこにある。
「大丈夫、僕が護るから」
「わ、わたし、女に見られないからだ、大丈夫……そんなことしなくても。
痴漢とかそういうのなら心配いらないし、それに――」
「女の子ですよ……梓は。
他の誰がどう言ってるかなんて知らないし、そんなこと関係ありません。
だから大人しく護られていてください」
眼鏡の奥にある颯太の瞳が優しく微笑んだ。
「…………うん……」
熱でぼうっとした頭はそれ以上の言葉を紡ぎ出すことができなくて、甘く高鳴る鼓動に嘘はつけなくて……
「颯太……あの、わたし、わたしね……」
どくん、どくん、どくん。
きっとわたしの目は潤んでしまっていることだろう。
らしくない、そんなの。
わたしらしくない……だってわたしは――
「そろそろ着きますよ、梓。
こちら側が開きます、こっちへ来て」
颯太の腕がわたしの背に回る。
黒いコートに鼻がかすめて、柔軟剤の清潔な匂いがくっつく。
男の人の胸板に顔を押し付ける経験なんてこれまであるはずもなく、颯太のコートをきゅっと握るわたしの手はふるふると震えた。
ああ、このまま時間が止まってしまえばいいのに……!
颯太がわたしの手をきゅっと握った。
「寒い……?
震えていますね……」
ふうっと温かな息がわたしの両手にかかる。
「だ、大丈夫っ……そ、颯太。
も、もうドアが開くから……っ」
ああ、可愛くない。
きっと可愛い子ならそこで、甘えて頬ずりの一つでもするんだろうな……。
でもそんなの、わたしに似合わない。
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