いらない

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 メールが来た。兄の勇からだ。しかも朝イチ。お陰で今日は失敗三昧、挙句残業。ふざけんな。 『奈津子さん、子供できたって』  昼休憩、堪えきれずに将太にメールした。 『知ってる。さっき連絡くれたよ』  その返信にため息が出た。兄嫁と将太はすっかり仲良しで、ちょっと妬けるくらい。言うと笑って相手にされないから言わないけれど、本当はメールも電話も一切やめてほしい。奈津子さんが節操なしだなんてこれっぽっちも思わない。とは言え、それとこれとは別問題だ。 「ただいま」  結局、帰宅したのは12時前だった。リビングの明かりの下、ダイニングテーブルの上にはラップをかけた夕飯が置いてあった。今晩は肉じゃがだったらしい。  生活上手な将太と暮らすようになって、俺は時々無理をさせているんじゃないかと不安になる。大学時代に教わった料理もあまり上達しなかったし、お互いに仕事があるのに将太の負担だけが増えていく気がしてならない。そんなこと、文句なんて言われないことは重々わかっている。けれど、小さな不安も積もれば大きくなるものだ。  俺たちがいるのは不毛の地。結婚報告もできない。子供なんて一生できない。親に孫の顔を見せられない。ひとりっこの将太は内城家の先を続けられない。結婚はまだかと上司に言われ、いい人紹介しようかと先輩に言われ、きっとからかわれたりもするだろう。そういう未来の全部が一気に、容赦なく押し寄せてくる。俺と将太とふたりぶん。勇が父親になる、ただそれだけのことで。  勇だけが、兄弟であるが故に俺を唯一ぐらつかせるんだ。 「麟。おかえり」  声にハッとして振り返ると、眠っていたのか後ろ髪がもわもわの将太がすぐ傍に来ていた。肉じゃがをガン見しながらボーっとしていたらしい、まったく気配に気づかなかった。 「……」  おかしい。喉がひきつれて声が出せない。「ただいま」も言えない。  将太が怪訝そうに首を傾げ、それからスッと目を細めた。 「泣く?」  柔らかく微笑んで広げられた両手。まるで引力が働くかのように、俺は否応なくそこへ吸い寄せられてしまう。ゆっくりと腕が背中に回る。ギュッと力がこもる。そのぬくもりを感じた途端、鼻の奥がツンと痛みだした。 「誰が泣くかよ」 「強がり」 「勝ち誇んな」  負け惜しみは、鼻声の笑いに消えた。  天秤はいらない。ただ将太とともに生きられさえすれば、あとはなにも。
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