<シャーロック・ホームズな夫>

12/67
前へ
/466ページ
次へ
それだけでなくトイレのドアには、映画公開記念としてパンフレットと一緒に販売されていたポスターがセロハンテープで貼られている(もちろん二本購入していた) さらには入手経路が不明の、ホームズやレストレード警部 といった主要キャラクターが可愛くデフォルメされたシールが貼られている。おかげで用を足すときでさえ、彼の嗜好の世界に干渉されているのだ。そして極めつけは彼の家での服装である。 ベージュ色のインバネスコートを羽織り、ホームズハットを被り、手には常にパイプが握られている。そして非喫煙者にもかかわらず、時おり口にくわえて煙を吐く動作。仕事から帰宅し、得意げな顔で玄関先に仁王立ちしていた彼と目があったときは、絶句するとともに狼狽の色を隠せなかった。 グッズ関連のものは渡している小遣いで購入しているため、独裁者のごとく彼の自由を奪うわけにもいかず、ホームズの服装をするのは家にいる時のみと、お願いするのが精一杯だった。それに対して彼は「もちろんだよ、汚れたら困るからね」と笑顔で答えた。天然なのか、その反応に私は苦笑いを浮かべることしかできなかった。 架空の世界の名探偵に私生活だけでなく彼をも支配されていく日々に、このままで良いのだろうかと違和感を覚えつつも、度を越えた趣味以外は完璧な彼を嫌いになどなれなかった。 そして月日が流れ私は二十六歳となり、彼は三十三歳になった。収集癖は相変わらずで、暇さえあれば様々な通販サイトを徘徊し、決して多くはない小遣いのなかで次々に購入していった。必然的にグッズは彼の部屋に収まらなくなり、リビングには小さなガラス製のショーケースが二台、私の部屋には一台が設置された。 少し控えるように話し合いを持ちかけたが、結果は私が折れるかたちとなった。挙句の果てには「恵美も趣味を見つけなよ。そうだ、ホームズ好きになればいいじゃないか」と言われる様だった。 恐らく彼に依存していたのだろう。相談した友人には別れたほうがいいなどと忠告をされ、その時は決意をするのだが、実際に行動には移せなかった。 二人の関係に変化が訪れたのは、それから一年後の二十七歳の誕生日。あの頃は彼との仲が険悪になるのを恐れ、問題に向き合えないでいる自分に苛立ちが募るばかりの毎日を過ごしていた。
/466ページ

最初のコメントを投稿しよう!

345人が本棚に入れています
本棚に追加