第1章

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漫才のような会話の応酬が、途絶えた。 夫も恭子もそれぞれに思うところがあるのだろう。 自分の後ろ暗いところを反芻しながら、それでも活路を探している。 ――ああ、この顔。あのひとに見せたかったかも。 「ひどい……詐欺だよこんなの」 女が、力なく吐き棄てる。 またしても雄治はぎょっとした目で彼女を見た。 「さんざん長いあいだ騙しやがって。あたしこそ慰謝料請求してやるからな!」 「だ……騙したことなどない! 君から誘ってきたんだぞ?」 あくまで俺は悪くないスタンスを崩さない夫。 助ける気はないが、とりあえず言っておこう。 「恭子さん。なんかいろいろ残念だろうけど、慰謝料は請求される側だからよろしくね。で、この夫まだ欲しい?」 「いるわけないじゃん!」 雄治の口が、空き缶を突っ込めそうなほど開いた。 「だよね。一応訊いてみた」 開きっぱなしの口がぐるりと私のほうを向いた。 「でもさ、正直お互い様だと思うよ。恭子さんだってバツイチなんて言ってないんでしょ?」 風見鶏のように、開いた口がもう一度女のほうを向く。 「な、なんで知ってんだよ!」 「慰謝料二百万円払ったら教えてあげる」 「んな金払えるわけねーだろ!」 机を叩き、女がいきり立つ。 その目が潤んでいるのは単に興奮のせいだけではあるまい。 私は煙草を深く吸い込んだ。 旦那の顔色を伺うことなく味わうニコチンは、なんて美味いんだろう。 「……で、雄治はどうする?」 すっかり夫はハニワのように呆けた顔をしていた。 「はい、私の印鑑貸したげる。どうせならあなたの手で終わらせちゃってよ」 離婚届を彼に握らせ、目の前に判子を差し出す。 魂の抜けた目にみるみる感情が蘇ってきた。 「どうしたの?」 紙を掴んだまま、印鑑を触ろうともしない。 葛藤の末、彼はどちらを選ぶだろう。 全てを失う一路を進むか、プライドを棄てて帰路につくか。 数秒ののち、彼の目にはたった一つの色が浮かんだ。 媚だ。
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