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今回、ラウムは、黒岩健作という、事件記者の体を拝借した。
頬骨が落ち窪み、猿のように背中が丸まった陰鬱な老人だった。
昨日、その老人が警察署玄関から出てくるのを見たとき、こいつは使えそうだと直感して、ラウムはその後を追った。
郊外の古びたアパートに帰りつくと、宵が訪れるのを待って、老人の前に姿を現した。
はじめこそ、黒岩は非現実的な生き物の実在に恐れ、戸惑いを隠せずにいた。
しかしラウムの甘言を受けるにつれ、やがて、己が人生に対する憤りを語り出した。
勤めている創世期新報は、大仰な社名を裏切って、部数のなかなか伸びない三流の新聞社だという。
官公庁とのコネも薄く、スクープにはまったく恵まれていないらしい。
その日も刑事の実像を主題とした記事の取材をしようとしていたのだが、取材すべき刑事に会うことさえかなわず、翌日の約束を取るのがやっとだったそうだ。
社内で一番の古株だが、この十数年の間、黒岩は大した仕事をしていなかった。
健康状態も芳しくなく、引退の次期も迫る。
しかし、どうしてもその前に、スクープをあてたがっていた。
身寄りもなく、老い先も長くない黒岩にとって、それが残された人生の唯一の願望といっていい。
「わしは、絶対に一流紙を出し抜いて、世間のやつらが度肝を抜くような記事を書いてみせる。
みておれ、わしはまだまだやれるんじゃ。
若いやつらのように芸能人の尻を追っかけていればとれるようなものじゃない。
社会を底辺から覆すような大事件を、スクープしてみせる。
みておれ、必ずみておれ……」
薄暗くなった部屋の中、そう語る老人の目には、暗い妄念がありありと燃えていた。
話を聞きながら、自分がこの老人に目をつけたことが間違いでなかったと、ラウムは確信した。
翌日の取材相手が、ラウムが狙っている人物、その人だったからである。
稲垣光志郎。
磐座署刑事部捜査一課の刑事課長にして、本庁が猟奇事件に関する特別捜査本部を設置するときには必ず招集される、国内でも指折りの捜査官。
ラウムは、今まで何人もの殺人犯と契約を交わし、地獄に堕してきた。その彼らが恐れる男としてたびたび口にしたのが、稲垣の名前だった。
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