第2章

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 黒岩老人は、稲垣をこう評した。 「稲垣は、いつも冷静にしているように見えるが、実のところその内側には燃えたぎるような熱い心を宿しておる。  正義感というやつかのう。  悪を許さぬ固い意志がある。  それにはのう、深いわけがあるんじゃ。  十年ほど前、稲垣がまだまだ刑事になりたての頃じゃ、その頃からあやつは何人もの犯罪者を検挙する敏腕刑事として活躍していた。  まあ、現在のように難解な事件ばかりじゃのうて、比較的犯人が分かりやすいものが多かったがのう。  子宝にこそ恵まれていなかったものの、結婚もしていた。  夫の仕事に理解を示す良き妻で、夫婦仲も円満だったようじゃ。  しかし、あるとき、順風満帆のやつの人生を粉々にするような、不幸な事件が起こったんじゃ。  ……殺されてしまったんじゃなあ、彼の最愛の妻が」  たまたま稲垣も非番だったらしい。  寝過ごしてキッチンへ向かうと、テーブルの花瓶から青白くなった人間の腕が生えてある。  眠気も一辺で覚めだろう。  まだ固まりきっていない血が花瓶の底に溜まり、薬指には自分が贈ったはずの指輪がはめられたままだったのだから。  稲垣は妻の名を叫びながら家中を探し回った。  そして、次々と目にしたくはないものを目の当たりにしてしまった。  ゴミ箱に詰め込まれた血まみれの太股。  廊下の壁に押しピンで貼り付けられた二つの乳房。  そして、居間のテレビの上に、土産物か何かのように無造作に置かれた妻の首。  恐ろしいほどに大胆な犯行だった。  調べたところ、稲垣が発見した時点で死後数時間ほどしか経過していなかったらしい。  くしくも彼の妻は、稲垣が部屋でぐっすりと眠っている間に、同じ家の中で殺害され、バラバラに切り裂かれた。 「残念なことに指紋や毛髪といった慰留物もなく、他にこれといった手掛かりをみつけることもできなかった。  まあ、刑事は恨みを買うのも商売のひとつというからな、当然その線で捜査は進められたんじゃ。  だけども、結局捕まらなんだのよ、その犯人は」  二年後、稲垣は犯罪心理学を学びに米国へ渡った。  そうして猟奇犯罪のスペシャリストとして、今では本庁の上層部も一目置く存在となった。
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