第3章

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「菓子職人もただ作っているわけではないんですぞ。  ケーキひとつに対してもコンセプトをもって、味や香り、見た目の色彩にまで気を配っているんです。  そのケーキも、『乙女の宝石』というタイトルに示される通り、宝石に見立てられた、厳選されたフルーツたちが主役です。  彼女たちを引き立てるために、職人は生クリームを選び、サイドにつけるムースの味付けを考えている。  食べる方もそれをくみ取って、どうすればそのデザートを一番美味しく食べられることができるか考えながら、口にしなくてはならんのです」 「なるほど。じゃあ黒岩さんなら、このケーキをどのように食べるんですか?」  その言葉を聞いた瞬間、「ボッカ・デラ・ヴェリタ」の店先で膨らませた妄想が、ラウムの目前に広がった。 「ああ……もしも、わしがそれを食べるとするならば……」  視界が存在感を失い、霧がかったように霞みがかる。  生クリームの上に寝そべった乙女たちが、艶美な視線でラウムを誘っていた。 「どうぞ、黒岩さん」  藤丸の手が伸びてきて、老人にフォークを握らせた。  拒否できなかった。 「そんなに大好きなら、今日ぐらい食べても大丈夫でしょう。  我慢せずに、どうぞお食べ下さい」  藤丸が、それこそまるで悪魔のように、囁いた。  ラウムは、フォークの先端で、生クリームに触れた。  柔らかいホイップの感触に、喜びのあまり、背筋が震えた。  そのとき、大王の恐ろしい形相が思い浮かんだ。 「もしもこの禁を破ったのなら、悪魔失格、永遠に拷問を受け続ける魂として、地獄界をさまようことになるだろう」  舌先が二股に割れているのを感じて、我に返った。  背筋が寒くなった。  刑事たちに気付かれはしなかっただろうか?   「課長の実績について、僕からも言わせてください」  藤丸は、ラウムの懸念などどこ吹く風で、指先に付いたクリームをぺろりとなめて、しゃべり出した。  稲垣の方も、老人の口元などよく見てはいなかったようだ。  ラウムは、角と眼と、牙の状態をそれとなく確認する。  大丈夫のようだ。  角も生えてなければ、牙も出ていない。  くたびれた老人の姿のままだ。  眼の色まではわからぬが、変化したとしても一瞬のことだったろう。 (これを食っちまえば、最期になってしまうからなア……)  さりげなくフォークを置き、ケーキを視界からよけた。
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