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長谷川は香曽我部の顔を見ることが出来なかった、自分の曖昧な気持ちでひとの好意を踏みにじってしまった。香曽我部が止めるのも聞かず玄関を飛び出し、ちょうど来ていたエレベーターに乗り込む。
一階に出てロビーを抜ける。オートロックで後戻りできないのは承知の上だ。
外に出て真っ先に目に入ったのは朧月だった。生暖かいような春の夜の空気。
「はせ…がわ…さん? 」
「貴弘!? なんで、ここに…」
「なんでじゃないっ。なにその痩せた体。頬までこけちゃって。なんでそんなになるまで我慢するんだよ、俺が必要なら呼べばいいじゃんっ」
「だってオマエ選べって言ったから…」
「で…選んでココに来たわけ? 」
「違う。そう思われても仕方ないけど。俺はオマエに会いたかった」
ぽろり。月明かりを反射して長谷川さんの涙が零れ落ちた。
「なんで、飛び出してきたの」
「オマエのこと思い出して。そしたらもうダメで。いてもたってもいられなくて。…オマエに会いたくて」
「俺も…会いたかった。すごく」
ただじっとみつめあう。何も言葉がいらないみたいに。
「長谷川さん…。帰ろう? 俺たちの家に」
ふたりの有り金を足して、ようやく自宅までのタクシー代が払えた。
「久しぶりだね、ふたりで帰るの」
「うん。そうだな…ごめん。部屋散らかってるけど」
「明日週末だから、ちゃちゃっと片付けちゃおう」
俺はソファに脱ぎ捨てられた服たちを拾い集めながら言った。
服を洗濯かごに入れてリビングに帰ってくると、真剣な面持ちで長谷川さんが口を開く。
「俺。オマエなしじゃ生きていけない」
「うん」
俺も真剣に受け止める。
「オマエがいないと俺は普通でいられない」
「うん」
「あの人のことは恋人としてはみられないってことがわかった。本当にアーティストとしてのファンなんだ。俺が、恋心があるみたいな錯覚をしていただけなんだ」
「うん、わかった」
「俺は、貴弘じゃなきゃダメなんだ。…どうしようもなく…好きなんだ…」
「ありがとう。俺も、好きだよ、長谷川さん。…ホントに、どうしようもなく」
真摯な眼差しでみつめあう。
初めての告白を思い出すような感覚だった。
「貴弘…目が…」
長谷川さんが嬉しそうに微笑んだ。きっと緊張から瞳の色が薄く変化したのだろう。
俺は長谷川さんが胸に下げている瞳を見た。
「その魔よけ。役に立った? 」
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