第1章

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「じゃあ、さよなら」 怜はくるっと回れ右をしてドアから出て行こうとする。 「怜!…っまて!」 少し歩いた所でグイッと腕を引かれた。 あっと思った時には既に体が後ろに流れ、必然的に腕を引いた透の胸に背中からぽすっと収まってしまった。 それをいいことに、透はぎゅっと怜を抱きしめた。 ふわりと香る透の香水の香り。 この匂いも、腕の力も全てが大好きだった。 「ごめん。怜ごめん。俺が悪いのは分かっている。それでもお前を離せない」 「行かないでくれ」 俺にだけに囁いてくれる言葉も、声も大好きだった。 頭を怜の肩に押し付けてぐりぐりと甘えてくるように、怜を離さないとまるで子供が駄々を捏ねているような仕草をする。 こういう甘えてくるとこも、大好きだった。 もう、無理なんだとなんで分からない? 今でもお前の所に戻りたい。 でも、今までみたいに無条件にお前を信用出来る訳が無いだろ? 信用を裏切るのは簡単だけど取り戻すのは難しい、そうだろ? 「俺はもうお前と一緒には居れない。俺じゃない人と幸せになれよ」 「怜っ!!」 透が声を張り上げる。 俺は、ただお前の言うことを聞く人形じゃない。 「羽柴理事長、明日も早いのでこの辺で失礼します。…どうぞ、お幸せに」 羽柴理事長と言った瞬間にあれほど離さないとばかりに強く抱きしめられていた腕から力が無くなった。 するりとその腕から抜け出してそう言い残し、部屋を出る。 透とは長く付き合っていたけれど、それでも別れは呆気なかった。 俺たちの付き合いは一体なんだったんだろうか…そう思う程に、呆気なく終わってしまった。 「あー…明日も仕事あんのに、めんどくせぇ。これからはやる気が出ねぇなぁ」 もう4月と言えど、夜は肌寒い。 胸にポッカリと穴が空いてしまった気がした。 大事だったんだ。すごく。 これ以上現れないってぐらいの好きな人に出会って、それも呆気なく終わってしまった。 「人の気持ちは移ろい易いってな」 自分の気持ちも早く他に移ろってしまえばいいのに。 まだ、こんなにも透が好きなんだ。 そうすぐには切り替えれる筈がなかった。 手元には何も残らなかったけれど、それでもすぐに忘れる程短い付き合いではなかったから。寧ろ、長すぎた。
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