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翠(みどり)は悪魔の巣窟に足を踏み入れてしまった。
一度踏み入れたが最後、悪魔は翠の全てを貪り尽くすまでその手を止めないだろう。
現世ではまず滅多にお目にかかれない純度の高いブロンドの髪は、明らかに人の施術によるもの。
髪の境まで綺麗に覆われた金色は白い肌にも映え、また、日本人離れした蒼い瞳も、人工的な色膜だろう。
だが、元々の顔のパーツは天然。
悪魔が持って生まれた天賦の才。
整いすぎた顔立ちの悪魔は、口許に天使のような微笑みを浮かべ、翠へと誘惑の視線を送ってくる。
それに気付いていながらも、翠は悪魔の熱視線を気付かない振りを続けた。
熱くなる顔を悟られないように、翠はテーブルの上に広げられた教科書に目線を押し付け、桜貝のような淡いピンクの爪の指をトンと置いた。
「星王院くん、いい?
この公式を当て嵌めるの。
後は代入して計算すれば……」
落ち着かない、落ち着くはずがない。
背中に確かに感じる熱。
悪魔は翠を跨いで座り、木綿のブラウス越しの華奢な肩を挟むようにして腕を教科書へと伸ばした。
耳元に悪魔――星王院蓮(せいおういん れん)の息が吹きかかり、翠はびくびくと身体を震わせた。
男女の付き合いなどこれまで一度たりとも経験したことのないまま女子大生になった地味な学生生活を過ごしてきた翠にとって、それは未知の経験に他ならない。
得体の知れないぞわぞわする感覚に逆らうようにして、翠は頭をふるふると真横に振る。
お世辞にも綺麗とは言えない二つ結びにされたおさげの髪が揺れ、その一端が蓮の頬を撫でた。
蓮は血の気の多い思春期盛りの高校生。
ふわりと漂うシャンプーの仄かな香りに翠の中の女性を感じ取ると、髪の一端にそっと触れ、小さく口付けをした。
「セーンセ、そんなことよりいいことしない?
俺、集中力がもう切れたから今教えて貰っても無駄になると思うよ」
「星王院くん、ふざけないで」
歳の差がある、大学生と高校生という間柄。
翠は雇われの身である家庭教師、歳上という立場もある。
翠は相手は子供だと言い聞かせ、毅然とした態度で髪に触れる蓮の手を振り払った。
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