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厚い雲の層が真冬の空を覆っていた。
多摩子が吐き出した柔らかく白い吐息は、あっという間に溶け、すぐにも消える。
前日からしんしんと降りしきる雪の精が寒空の下に待ち続ける多摩子の指先にふわりと舞い降りた。
夢が現実の訪れに終焉を迎えるように、粉雪の結晶はすぐにも儚く散って水になった。
多摩子はギンガムチェック柄のカシミアマフラーに顔をうずめ、ぶるんと震えながら駅のホームに立っていた。
縁にファーをあしらったフード付きの白い合皮のダウンコートは冷気を和らげてくれるものの、その下の丈が短いキュロットは厚めのデニールタイツを重ね穿きしても極寒の前には気休めにしかならず、ヒールのないスノーブーツの内側はもはやかじかみ、足先の感覚が麻痺してしまっていた。
山奥の場末駅のホームは、雪の訪れも重なってか多摩子の他に乗客の姿はない。
このような悪天候、しかも路線は車社会に追いやられるようにして衰退の一途を辿るローカルライン。
多摩子の心を嘲笑うかのように、白い精は無邪気にはらはらと結晶を散らしていく。
時刻は午後六時を回っていた。
かれこれホームに立って数時間。
待ち人が現れる確率は、もはや絶望的だった。
錆びて薄汚れた柱に凭れながら、多摩子が脳裏に思い浮かべる景色は、去年のこの日。
「東京に行ってくる」
多摩子が一番傍に居て欲しいと願う相手は、都会の賑わいや華やかさに憧れ、彼女を置き去りにして旅立っていった。
成功したら、君を呼び寄せる。
一年、僕に時間をくれないか――そんな言葉を言い残して。
この世界はあまりに狭すぎて、羽ばたこうとする彼、範雄の翼を引き止めることなど多摩子には出来なかった。
幼少の頃から二人を育ててきた駅前広場の賑わいも、離れに開発されていくショッピングセンターなどの大型店舗の進出によって、今や廃れたシャッター街と成り果ててしまった。
二人で通った駄菓子屋も、二人並んで立ち読みした小じんまりとした古本屋も次々にテナント募集の貼り紙を飾っていった。
だから……多摩子は彼を止められなかった。
一年後の今日、この地に戻ってくるという範雄の言葉をただひたすら信じて待ち続けた。
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