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夏からの手紙
久しぶりの岐阜は、やはり暑かった。
改札口から出て直射日光の下に出ただけで、クラリと一瞬意識が飛ぶ。
夕方でこれだけ強烈なのだから、昼間はどれだけ殺人的なのだろうか。
「迷わずに来れたんだ」
そんな呑気なことを言っていられるのはそこまでだった。
春兎(はると)の背中に、意地悪な声が飛んでくる。
ドクン、と心臓が跳ねた。
懐かしさと痛みにとっさに振り返ることができない。
「うさちゃんは究極方向音痴だから、正直言って岐阜まで来れるかどうか心配だったんだよね。
名駅で迷子になるんじゃないかってヒヤヒヤしてた」
一年前の記憶に、今なお色あせずに残る声と呼び名。
今まで心の奥底に沈めていた思い出が、一気にあふれてくる。
「ちょっと、もしも~し。
聴いてる?
てか、気付いてる?」
逃げ出したいのか、向きあいたいのか、春兎自身にも分からなかった。
だが相手は迷う暇さえ与えてはくれない。
カラ、コロ、と下駄で空中回廊のウッドデッキを叩きながら、彼女は春兎の正面に回り込んでくる。
藍地に白と薄青で桜が描かれた浴衣に、目が覚めるほど鮮やかな黄色の帯。
茶色がかった黒髪は綺麗に結い上げられ、とんぼ玉が揺れる簪が添えられていた。
その姿に春兎ははっと息を呑む。
それに気付いたのか、彼女はチェシャ猫のようにニヤリと笑うと軽く腕を広げてくるりと一回転した。
「どう? 似合う?」
その拍子に裾が乱れて、白いふくらはぎがのぞいた。
相変わらず、『慎み』という文字は彼女の中にないらしい。
ようやく春兎の顔に苦笑らしきものが浮かんだ。
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