6人が本棚に入れています
本棚に追加
/15ページ
「ともちゃんは何か食べないの?」
花火は太陽が沈み、周囲が完全に闇に染まってからが本番だ。
バスで移動している間に夕日は深い藍色に包み込まれて、今は夜空を染める大輪の花がくっきりと綺麗に見えている。
まだ西の空はほんのりと明るいが、屋台が並ぶ河川敷は見物客で埋め尽くされていた。
「いらない。浴衣汚しちゃうのが怖いし。
てか手首痛い。はぐれないから離してよ」
春兎に手首を掴まれたともみは、くっきりと眉間に皺を寄せた。
「いーや、絶対はぐれる。
これだけ人がいるんだぞ?
絶対はぐれる」
「バッカじゃないの?
私が一体何歳からこの花火大会に来てると思ってんのよ。
『人混みを泳ぐ魚』と呼ばれたお姉ちゃん並に、とまでは言わないけど、うさちゃんを見失うことなんてないから」
「俺はそこまで器用に人混みの中を歩けません!
結果、ともちゃんに置いていかれます。
置いていかれたら俺は帰れません。
何と言っても、方向音痴だから!」
「えっ!? そっちっ!?」
どれだけ騒いでも、春兎とともみの声は人込みの喧騒と花火の音に掻き消されていく。
周囲には仲睦まじい恋人同士がじゃれ合っているようにしか見えていないのだろう。
ともみが酷い癇癪持ちだということは知っている。
だがこの中にいれば、案外ともみの癇癪玉が破裂しても目立たないかもしれない。
「ちょっとうさちゃん!
あんた、今日何のために来てるか分かってんのっ!?」
……と思っていられたのは、会場についてほんの一時間だけだった。
「花火見に来たんでしょ!?
屋台見に来たわけじゃないじゃんっ!!
いいっかげん歩きまわんのやめてくんないっ!?
疲れたっ!!」
ともみがヘソを曲げると大変だということは知っている。
所構わず怒り狂い、何を言っても受け入れない。
『嵐が去るまでじっと待つしかないのよ』というのは、彼女の姉が二十一年という人生で悟った偉大な真理だ。
春兎は一、二もなくその言葉に従うことにした。
最初のコメントを投稿しよう!