◆春薔薇の咲く前に◆

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日曜の早朝、先生と東京駅で待ち合わせ神戸へと出発した。新逢坂山トンネルが開通したおかげで、東海道本線の東京-神戸間は11時間50分で行けるようになったらしい。昔は20時間もかかったと言うのだから、大した進歩だ。 とは言え長旅に変わりはない。 鳩目邸の話を先生から聞いたからか、父の機嫌はすこぶるよく、神戸へ暫く出かける事を伝えても気をつけて行ってくるようにと言うのみだった。暫くは紅子の事を煩く言われないと思うと、少し気が軽くなる。 乗車後は大震災の際にも壊れる事のなかった、鉄骨煉瓦造の駅舎について議論を交わし、倫敦で見た建築物の事など尽きることなく話し続けた。先生とこんな風に長く話せるのは中々ある事ではない。つい話に夢中になっていると、いつの間にか昼になったのか周囲の客が弁当を広げだした。 屋号入りの袢纏姿の立ち売りさんに声をかけ、窓から顔を出し弁当とお茶を買う。それを食して、外の景色を眺めている内に先生は眠ってしまったらしい。 私も少し休もうかと目を閉じかけて、今朝先生から読んでおきなさいと渡された本があったのを思い出した。 『Alice's Adventures in Wonderland』と題された本を捲ると、王冠を被り不思議な体つきをした男女や、立派な服を着たうさぎなどの不思議な挿絵が中表紙の前についていた。さらにぱらぱらと捲ってみると、いくつもの挿絵が入っている。木版画だろうか。 どうやらこれは、子ども向けの本のようだ。先生は一体どうして子どもの本を私に読むようにと言ったのか。そう不思議に思いながらも頁を捲り続けた。 それは不思議な世界に入り込んだ少女の話だった。アリスという名の少女はおかしな飲み物や食べ物を口にして、大きくなったり小さくなったり。奇妙な生き物に出会ったりと、不思議な事ばかりが起こる。 気付くと私はアリスを追いかけ、広い西洋庭園の中にいた。 私の立つ場所は丘陵の芝生の上で、周りには池があったり大きな木々が植えられている。しかし、奥にある城にも見える邸宅に近づくにつれ、対照的な模様を描く花壇や噴水を中心とした平面幾何学式庭園が広がっていた。 美しく、そして迷路のようにも思えるそれは、とても完成された庭に思える。
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