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「お一人で? こんな山の中に?」
「ええ、人とのしがらみに疲れちまったンですよぅ。それより、お坊様。お上がりになるんですかい? こんな処で立ち話じゃあ、風邪ひいちまいますよ」
そう云って、女はさっさと家の中に入ってしまった。
私は少しの間逡巡した後、女の言葉に甘えて中に入れてもらう事にした。
草鞋を脱いでいるうちに、女は囲炉裏の火を熾している。
「もっと火の側へおいでなさいな。山の夜は冷えますからねぇ。火がなくちゃあ、どうにも寒くてやってられませんよ」
火が十分に燃え上がると、台所から鍋を持って来て自在鉤にかけた。
女の云う通り、陽が落ちた途端に肌に感じる夜気が冷えてきているのが分かる。
「かたじけない」
「堅苦しい事は云いっこなしですよぅ。ところでお坊様は、どちらまで行かれるんで?」
鍋の木蓋を取ると、湯気を立て始めている中味を混ぜながら、私の方をチラリと見上げて問う。
黒目がちなその視線に、何故かしらゾクリと背筋に蟲が這うような感覚が私を襲った。
確かに小股の切れ上がった、いい女だとは思うが、そういうものとは違う。
「奥州のある寺へ向かうはずだったのですが、山中で道に迷うてしまいまして。難儀しているところ、こちらの灯を見つけまして。
ご迷惑かとも思ったのですが、山中で夜を明かす訳にもいかず、不躾にも一夜の宿をお願いしに参った次第でございます」
「奥州でございますか? そりゃあ、お坊様、道が違うておりますよ。奥州へ行かれるなら、明日はこの薄野原を東へお出でなさいまし。
お昼までには麓へ降りる道へ出ましょうし、その道を見つけられたなら、夕暮れには山を抜けられますよ」
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