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「それは有り難い。進む方角が分からねば、明日も山中で途方に暮れるところでした。
地獄に仏とは、まさにこの事です」
「そんな大袈裟な。地獄って事ァないでしょうよ。それとも妾の顔は、地獄の鬼のような御面相でございますかねぇ?」
「あ、いや、そのようなつもりでは……。申し訳ない」
「あはは、真面目に受け止められたんじゃ、妾の方が困っちまいますよぅ」
温められた鍋の中身を椀に注ぎ、箸を添えて私に勧めてくれる。
「残りモンで悪ぅござンすねぇ。お口に合えばよろしんですが」
差し出された椀を受け取ると、器越しに手の平に伝わる温もりが、冷えた体に心地よい。
「突然押しかけて来たのは、私の方ですから。こうやって宿をお借りさせて頂くだけでも有り難いのに、夕餉まで御馳走になってしまって。本当に何と申し上げてよいやら」
「ですから、そんな風に畏まられちゃ、何だかこそばゆいですよぅ。まあ、山ン中でございますから、大したモンは出来ませんがね」
一口啜ると、体中に温かさが広がった。
椀の中身は、山で採れたものだろう。山菜や茸の類いが入っている。
「ああ、生き返った気分です。このような山の中でも、こうやって暮らして行けるのですね」
粗末な家ではある。調度と呼べる物は、ほとんどない。
それでも、目の前に座る女が不自由しているようには見えなかった。
「なぁに、人間、欲さえかかなきゃ大概の事は、どうにかなるもんですよ」
女は縁の欠けた酒杯に酒を注ぐと、くいっと飲み干した。
そのような女の動作、ごくりと鳴る喉の白さにぞくりとする。
「食える物は、山ン中を探せば見つかりますわいな。麓に住んでおるお人好しの男寡が、魚などを届けてくれる事もございますよ。
まあ、あの男の場合は、下心が丸見えでござンすけどねぇ」
再び杯を満たす。
しどけなく足を崩して座る女の脛の白さが、目に痛い。
「しかし、人も通わぬような場所での女人の一人住まい。いささか、無用心ではございませんか?
もしも私が悪党であったなら、あなたの命を奪ってしまうかも知れませんよ」
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