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「無理にはお勧め致しませんがね。この山の夜は、寒ぅございますよ。体を温めたくなったら、いつでも仰って下さいな」 私の椀に山菜汁を注ぐと、手に渡してくれた。 そして自分の杯に、トトトトッと音を立てて酒を注ぐ。 「不躾かも知れませんが、お許し下さい。どうしてあなたは、こんな山の中に?」   私は無性に、女の素性が知りたくなった。 なぜこんなに、この女の事が気になるのだろう? 以前に、どこかで会ったか? 知り合いに、このような女がいただろうか? 「妾の事でございますか? そうですねぇ、こんな夜にゃあ、昔語りもいいかも知れませんねぇ」 杯の欠けた縁を指先でなぞり、女はどこか遠くを見る目をした。 「妾は今じゃ、こんなンでございますがね。これでも江戸の三代続いた呉服商の、一人娘だったンでございますよ。 今じゃあ、すっかりこの有様ですがね。乳母日傘で大事大事に育てられた、世間知らずの箱入り娘ってヤツですよぅ」 ふふ、と含み笑うと、くいっと杯を煽った。 そして自分の昔を語り始めた。 ◆◇◆ 江戸の御府内じゃあ、ちったぁ名の知れたお店だったんですよぅ。 初代が行商から大きくしたお店で、親父殿はそこの三代目でございましてねぇ。 三代目はいけませんや、三代目は。 初代、二代目の苦労を知りゃしませんからねぇ。 思うに、ぼんぼん育ちの親父殿は、金を使う才覚はあっても、金を稼ぐ才覚はなかったンでしょうよ。 お店の切り盛りは、番頭や何やに任せっきりだったようでございますしね。 何せ、苦労知らずでございましょう。 お店の金を持ち出しちゃあ、遊興に耽る、博打に使うと、しようのない男でしたがね。 母親って人もねぇ、老舗のお嬢様育ち、世間は知らずとも気位だけは高いってお人でしたよ。 お店の事はもちろん、奥向きの事も良く知らないってお人でしてね。 それでもお嬢様育ちが抜けないんでしょうよ。 使用人を叱り付ける姿を何度も見ましたねぇ。 そんな二人でも、妾にゃあ優しい二親でござンしたよ。
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