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 美術部顧問の松浦には、美術室奥に彼女専用のアトリエがある。それは個別に絵の指導をし易いようにと、かつて美術準備室だった部屋を彼女が勝手に改造したのだ。もっぱら松浦に呼ばれてこの部屋に入るのは田中で、密室で男と女が二人きりというのはいかがなものかと周りは結構気を揉んでいる。でも、松浦当人はそんな風に周りから思われていることに本当は気づいていながらも、顧問の自分が、美術部のエースを大きく育てるんだという大義名分をひけらかしながら、何となくここまでうまく免れてきたように私には見える。でも、私には分かる。松浦は絶対田中に公私混同している。二十代の彼女には、田中という男子はとても魅力的に見えているはずだ。時折田中を見つめる目が、「女」の目になっている。「先生」の目ではなく、「女」だ。そんな時私は、まるで座りの悪い椅子に腰掛けているような居心地の悪さを感じると同時に、何故か心の奥がムカムカとしてきて、説明のしづらい不快感を覚えてしまう。  果たして田中本人はそんな松浦の気持ちに気づいているのだろうか? 実は田中は、見た目よりも初で鈍感な男だったりするのだろうか?……でも、そんな人間がこんな感性の研ぎ澄まされた絵は多分描けないだろうから、それはきっと無い気がする。多分天才肌の田中は、絵を描くことにしか興味が無く、それ以外のことは本当にどうでもいいと思っているのだろう。だから身近の女性の視線などまったく気付かないし、興味が無いという可能性は結構高い。だったら、田中は私の気持ちにもきっと一生気づかないかもしれない。ふとそんな思いが頭を過ぎり、私は何だか急に心が重くなった。  私はその思いを払拭するかのようにアトリエのドアノブに手を掛けた。そして、ドアノブを回し、数センチ奥に押した時、中から話し声が聞こえた。私はその声の主に気づくと、何故だか部屋に入ることができず、その場に立ち尽くした。 「やる気あるの?」  松浦が詰め入るように問いかけた。
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