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「いって~……あっ」
田中は私に気付くと、腰に手を当てながら立ち上がり、ばつの悪そうな顔で「何だよ」とボソリと言った。
「何だよって何? たまたま通りかかっただけだよ。今日雨だよ。廊下つるつるなの忘れてたの?」
「急いでたんだよ。美術の松浦に呼ばれてんの。俺」
田中は一メートル先まで滑ったスケッチブックを拾うと、ひょいっとそれを小脇に抱えた。
「ふーん。何で? 何かやばいことした? それとも松浦、やっぱり田中に目え付けてんのかなあ~。なんか部活ん時、田中を見る目がやばい時あるじゃん?」
「はあ? やめろよな。違う。違う。そんなんじゃなくて、美術展に出品する絵をどうするか相談しようってだけだよ」
「……そう。美術展か……はあ~、同じ美術部員として情けない」
「何がだよ」
「何がって、田中は美術部のエース。私達はただ楽しんで描ければそれでいいんじゃない? 的な存在でしょ? 正直いてもいなくていい感じだよ。松浦は結局、田中がどんな絵を描くのかだけしか興味ないみたいだし」
「……はあ? やめてほしいんだけど。そんな言い方」
田中は、明らかに心外だという顔を私に露骨に見せた。
「俺はただ表現したいだけなんだよ。俺の中から湧き出るものをそのまま絵にしてるだけだし。特別でも何でもないぜ」
田中は私をまっすぐ見つめそうはっきりと言った。私は、まずいことを言ってしまったと後悔し、その場に一瞬で石のように固まった。
「ご、ごめん……嫌みっぽくて。ごめん」
私がつい田中に軽はずみなことを言ってしまうのには、それなりのわけがあるんだということを本当は今すぐ釈明したかった。でも、そんなこと言えるわけもなく、ただ不器用に謝ることしかできなくて、そんな自分がひどく情けなかった。
「いいよ。もう。今日は部活来るだろう? そうでなくても部員少ないんだから。休むなよ」
田中はそう言うと、私に背を向け、上手に滑りやすい廊下をスタスタと歩いて行ってしまった。
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