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01/
御代澪を最初に気に食わないと公言したのは、他の誰でもない坂下千鶴自身だった。
澪が千鶴と同じ県営団地に引っ越してきたのはもう6年も前になる。くたびれた様子の父親と共に引っ越しの挨拶に現れた澪は、前髪の長い、俯きがちの女の子だった。
右目の下に、火傷の痕があるのだという。
顔を覗き込もうとした千鶴に、澪の父親はそう説明して申し訳なさそうに謝った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
千鶴は嘆息を吐き出しながら寂れた路地を歩いていた。地図が正しければ目的地はこの辺りだ。
手に持った紙片に視線を落として確認する。
ロマン横丁という名前のこの通りは、駅前のロータリーから一本裏に入った場所に位置する、どこか昭和の香りを残した裏路地だ。
飲み屋が多く建ち並んでいるせいか、正午を少し回ったばかりのこの時間帯はあまり人気もなく、奇妙な静寂に包まれている。
そんな空気がそうさせるのか、千鶴は酷く緊張していた。自分の心音が何もしていなくても聞こえるくらいだ。
紹介された喫茶店を見つけて、それはますます強くなった。
喫茶店『ごしっく』。
時計屋の向かい、三叉路の手前に佇む小さな店舗だ。
入口の横にある看板には『自家焙煎珈琲』と書かれている。
一見するとどこにでもあるような木造の喫茶店だが――千鶴はごくりと唾を飲み込んだ。
この店を紹介してくれた金髪の大学生はお墓のような場所だよ、と語っていたが、確かに、と千鶴は思う。
カレンダーの六月の頁は残りわずかだというのに、この店の周囲は不思議と肌寒く、そしてどこか薄暗かった。
「あの、すみません」
店に入るとそんな印象はより濃くなった。お香、だろうか。心地よい香りが鼻先を撫でる。
店内に客の姿はなく、隅に置かれた巨大なウサギのぬいぐるみが言い知れぬ存在感を放っていた。
「あ、弓弦の?」
カウンターの向こう側。灰色のカーテンの奥から青年が現れた。
いきなり声を掛けられて飛び跳ねそうになった千鶴だったが、知り合いの名前を彼の口から聞けたことで、安堵の吐息を漏らした。
「はい。譲原さんが、このお店ならどうにかしてくれるからって」
「そういう店じゃないんだけどね」
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