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「徳丸よ」
「はい」
雨雲が晴れる頃には、空は闇に堕ちていた。
雲の切れ間から差し込む暖かな陽気、神はそのような情緒風情すら許さなかった。
「実を言うと、吾輩に官庁(かんちょう)入りの督促状(とくそくじょう)が届いている」
「と仰ると?」
「断るつもりであったが、もし引き受ければ法の改正にも言質を投じられる。貴様を苦しめてならなかった鶏姦律令(けいごうりつりょう)……十の年ほどももらえれば、なんとかできるやもしれぬ」
「…………」
「その暁(あかつき)には、徳丸。貴様と余生を共にしても良い」
「戯言を。杉方さん、貴方には妻がいるはずでは」
「妻は死んだ」
「ほう、失礼。お悔やみを申し上げます」
「死んだのはつい三時間前。貴様が働いた辻斬りの犠牲者だ」
「……なんと……!?」
「だが、貴様を許そう。吾輩は貴様を侮辱した。貴様が牢獄で罪を償い終わる頃、吾輩は鶏姦罪を消滅させるという償いをしよう。さもなくばこの場で貴様を殺す。選ばせてやろう」
「…………」
杉方の中でその静寂は五秒とも、五時間とも感じられた。
しかし、それは大きく外れている。
事実として、徳丸は三秒以内に言葉を放っていた。
「杉方さん、拙者にそのような美しい未来は眩しすぎる。拙者はこの場で死にたい。杉方さん、貴方に……このまま逝かせて欲しいです」
「……そうか」
その言葉が掛詞であることは感覚的に理解できた。
無理に否定するつもりもない。
徳丸がそのつもりでここまで来たということは悟るまでもないから。
「ならば、覚悟せい」
立ち上がり、再び淑女ラーメンを抜く杉方。
その妖艶な刃身にもまた、徳丸は恋した。
地に伏したまま淑女ラーメンを見上げる彼の瞳は、まるで恋仲となった若娘と見つめ合う、健全な……いや、そのような言い回しを望んでなどいない。
彼はただ純粋に、恋い焦がれていただけなのだから。
少し道を踏み外しただけ。
そう。
法と、常識と戦うため、彼は人としての全てを投げ打っただけ。
少しだけ、欲望に正直になり過ぎただけ。
杉方はその首へ見当を付け、天高く淑女ラーメンを振り上げた。
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