第1章

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 道が暗いために、前方へ向けた視線を動かす事が出来ない。幸い、後続車も対向車もない。スピードを落すと、車を路肩に寄せてハザードを点けてサイドブレーキを引いた。 「そんなに、行くのが嫌なのか?」  彼女の顔を覗き込む。 「嫌なの。嫌なのよ、行きたくないの。お願い、帰りましょう?」  女の表情は、これまで見た事がないくらいに青ざめ、強張っていた。 「そんな事言ったって、もうちょっとじゃないか。少し行って帰るだけだよ。な?」  男の興味は、教えてもらった『心霊スポット』に大いに傾いていたが、連れの尋常でない様子に迷いが生じたようだ。  それでも「せっかくここまで来たのに」との思いがあるのか、食い下がってみる。  男の言葉を聞いた女は、キッと顔をあげてシートベルトに手を伸ばした。 「じゃあ! そこまで言うんだったら、一人で行ってよ! あたしは帰るから! ここで降ろしてっ!」  彼女の剣幕に、男はわずかにのけ反った。シートベルトをむしり取るようにして外し、ドアのレバーに手をかけた連れをなだめ始めた。 「分かった! 分かったから、そう興奮すんなよ。帰るから落ち着けって」  今にもドアを開けて外へ飛び出しそうな女の腕をつかむと、男は約束した。 「本当に? もう行かない? 帰れるの?」  余程気が昂ぶっているのだろう。目に一杯の涙をためて振り向いた彼女の姿に、男の『心霊スポット』への興味が急速に萎えていった。  第一、普段の彼女は、これ程に取り乱す事などない人間だ。その彼女が、我を忘れるくらいに怯えている。  男自身は何かを感じている訳ではなかったが、これ以上、女の神経を刺激するのは得策ではないだろう事は理解出来た。 「ああ、安心しろ。お前の言う通り、もう帰るから」  気持ちを落ち着かせるために笑いかけると、男はサイドブレーキを戻した。それを確認した女も、ホッとしたのか小さく微笑みを返す。  改めてシートベルトを装着すると、まとわりつく空気を払うように軽く頭を振った。 「大丈夫か? じゃあ、行くぞ」  暗闇の中を透かして見ても、車をUターンさせるための路地など見当たらない。助手席の女が先に進むのを拒んでいる以上、この場所でUターンするしかないだろう。昼間ならいざ知らず、夜の闇の中を分岐点までバックするという方法は、絶対に御免だ。
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