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五、大和の大王《おおきみ》
神城が水内を訪れる、ひと月余り前。
大和の都、三輪で、大和の大王は高楼の簀子にたたずみ、三輪の町並みを眺めた。
大路に荷馬車は見えず、市場通りにわずかばかりの人影が見える。
大王は勾欄を強く握りしめ、溜息をもらした。
『秋の収穫はとうにすんでいる。五穀が民の間に出まわった知らせが、なぜ来ぬ?』
「ごらんのように、都に活気がございませぬ。日照りで不作との噂が流れたため、都に運ぶ穀物を、民が控えているようでございます」
従者の声を耳にし、大王は街並みの端から端までゆっくり見わたした。
やがて、まなざしは、大路から市場へつづく通りに釘づけになった。
大路から市場へむかう通りに、牛馬の手配と荷車の手配をする博労の家がある。この一郭だけ、人込みができている。租と呼ばれる租税の穀物が、伊勢の運脚によって、博労のもとへ運びこまれているからだった。
突然、大気が振動し、勾欄がかすかにゆれた。角髪が逆立つような不快感に襲われ、大王は空を見あげた。大和政庁の東、三輪山の上空に輝く物体が小さく見えた。
従者は異変に気づいた様子もなく、博労の家の人込みを見たままだった。
大王は、丹田に気が集まるのを感じだ。
やがて、大王の心にいくつもの平野が映しだされた。どの平野も稲作が行われ、民の暮らしは狩猟採取生活から、農耕生活に変貌している。映しだされた世界は伊勢より西の大和、出雲、日向、そして、出雲から越にかけての海岸と、越の平潟原までである。心に浮んだ世界は大王の見知った世界だった。
大王は、時の行く末と現世の遠方を見ようと神に祈った。
しかし、時の行く末も、まだ見ぬ遠方も、何も心に映らない。そればかりか、伊勢より東と遠方を見ようとすれば、心に映る世界は、烏の群と、一人の若者に変った。
三輪山の上空に浮んでいた輝く物体が、葛城山の上空へ移動した。そして、ふたたび三輪山の上空にもどって停止した。
しばらくすると、輝く物体は北東に進路をとって、猛烈な勢いで飛び去った。
一部始終に気づいたのは、物体が発する異様な気配に気づいた大王だけだった。
「拝殿へもどる・・・」
大王は勾欄から離れ、高楼の階段へ歩いた。
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