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「なら今は関係ない。仕事に戻りなさい」
部長の方へと手紙を突き出したまま、筒賀さんは固まった。周りの皆も、ぎょっとした表情で部長を見る。
「戻りなさい。今は仕事中だ」
畳み掛けるように部長は言い、再びキーボードを叩き始めた。土色をした浅黒い肌は、いつもに増して陰鬱に見える。木の根じみた身体の中で、唯一指先だけが生き生きと動いていた。
「……チッ」
忌々しげに舌打ちをし、わざと大きな音を立てて筒賀さんが席に着く。皆の視線は彼と部長とを行ったり来たりしていたが、麻川さんはひとり黙々と仕事を続けていた。
「ごめんなさい、筒賀さん」
「なんで謝る。謝んのはお前じゃねえだろ」
返してもらおうと手を伸ばすと、彼は手紙をくしゃりと潰し、自身の机下にあるゴミ箱に乱暴に投げ込んでしまった。宙ぶらりんになったままの私の手を無視して、筒賀さんが言う。
「平沢、こんなの気にすんなよ。クソみてえな嫌がらせしか出来ねえゴミクズなんだからよ」
「あ、はい……あの、ありがとうございます」
筒賀さんは片眉を持ち上げ、椅子をくるりと回して仕事を再開した。言葉遣いは乱暴だし見た目も怖いけど、真っ直ぐで優しい。部長に叱られてしまったのは申し訳ないが、これだけ親身になってくれたのが嬉しかった。
私たちに集まっていた視線も、少しずつほどけていく。張り詰めた空気が徐々に緩み始めたとき、再びオフィスに緊張が走った。
「あ……!」
僅かな声がそこここから上がり、視線がドアへと集まっていく。さっきまでピリピリとしていた部長ですら、はっとした顔で立ち上がった。
誰か来たのだろうか?
私も振り返り、十メートルほど先のドアを見る。そこには全身を『Side:S』で固めた長身の男‐‐御堂島優琉が立っていた。
「なんで……?」
彼は東京に戻ったはずだ。なぜここに、と私が混乱している間に、彼は長い脚で私のそばに歩み寄ってきた。
「ど、どうしたんですか?」
驚きながら席を立つ。彼は以前と変わらぬ冷静さで言った。
「まだお訊きしたいことがいくつかあったので。昨夜描いたラフも、直接平沢さんと話しながらディテールを考えようと思うのですが」
事前連絡もなしに、思いつきで来たということか。ご丁寧に、首から『Visitor』のネームホルダーまで下げている。彼の立場なら許されるだろうが、本来なら非常識と言われてしかるべき行動だ。
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