第1章

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 わざと強気に突っぱねる。大体この人は、仕事に対しては至って常識的だったはずだ。そんな彼が、アポなしで来る理由は何か。  簡単なことだ。彼は、仕事で来たわけではない。 「十年越しの約束を守りに来た男に、少しくらい感謝しても良いと思うがね」 「願い下げです」  楕円形のテーブルに資料を置き、ひとつため息をつく。ただでさえ、今日は気が重くなることばかりが続いてるっていうのに。 「元気がないな。何かあったか?」 「いえ何も。……あ」  ふと、嫌な仮説が頭に浮かんだ。 「……御堂島さん、私に手紙を出しました?」  彼は表情こそ変えなかったものの、一瞬言葉に詰まった。 「嫌がらせのか?」 「そうです。会社を辞めろっていう、あの手紙です」  端正な顔がわずかに歪む。彼としては、あっさりとバレたことが心外だったのだろう。昨日は怪我人に手を出さないとか言ったくせに。 「名前まで書いた覚えはないんだが。どうして分かった?」 「以前、似たような嫌がらせを受けて自殺しかけましたから。誰かさんが止めてくれましたけど」  私が最終的に死ぬのが目的だとすれば、何も直接手を下すことはない。精神を病み自殺に至ったとしても、それは間接的に彼が殺したことになる。 「封筒に入れてあったのも……顔が知れてしまったあなたが私の机に直接入れに行くことはできないので、誰かに頼んだからでしょう。私の机に入れておいてくれと社内の誰かに頼めば、その人は疑いもなくそうするはずです。まさか御堂島優琉がそんなことをするなんて、誰も思わないでしょうから」  封筒に入れておけば、即席のメッセンジャーに読まれることもない。社外の人間である自分が疑われることはないと踏んだのだろう。 「ずいぶん察しが良いな」 「手紙を引き出しに入れる方法さえ分かれば、あとは簡単です。動機が一番あるし、私がこういう嫌がらせに弱いのは前々からご存知でしょうから」  嫌味っぽく言うと、御堂島は目を細めた。そんな彼を、私は負けずに睨み返す。いくら彼が異常者だといっても、このやり方はあまりに汚い。 「で、お前はそれで死にたくなったのか?」 「……え?」  予想外の返しだ。彼の真意がつかめずに口ごもる。 「お前は、会社を辞めろと言われたことによって死にたくなったのか。そう訊いている」 「……それは」
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