第1章

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 徐に手に取った雑誌や書籍も、結局感興が赴かず定位置に戻した。元々立読みだと気が削がれる上に、ディスプレイ画面が透明な壁の様に介在して読書へ没入出来ない錯覚が煩わしいのだ。  無愛想な店員の、無機質で無感情な「有難う御座いました」と言う儀礼的な挨拶を余所に、どこか心ここに在らずと云った風情で僕は本屋での素見しを終えようと自動扉へ脚を踏み出した。 (口先だけで簡素な空気を吐き出している様なものだ―)  そんな風に内心で店員の怠惰な気質を誹謗しつつ、寝起きの様に漫然としていた僕の意識は不意に正気へと覚醒される。自動扉が瞬間的に開かれた途端、眼前に広がった雑踏と、耳朶を打つ程の喧騒に思わずたじろいだのだ。黒山の人だかり、と形容すべき膨大な通行人の混雑……。閑散としていた書店と外界は、丸で陰陽の如く真逆の世界を展開していた。  そう、今日からパレードが始まる。僕、僕の名前は国籍番号742617000027……。だけど、出生時に国から割り振られた名前なんて便宜的記号に過ぎない。だからこんな無機質な記号の羅列は記憶してくれなくても結構だ。   明確な動機も展望も持たない侭で入学した中流の大学も休講、手持ち無沙汰で索然とした昼下がり―。休講の為漫然と街頭へと繰り出し、不意に市街全体から揚がる熱気を感じる迄、僕は今日が大規模な祝祭だと言う事にも丸で無関心だった。そう言えば自分の友人やら恋人から、口々に遊覧へ誘われた様な曖昧な記憶は在る。しかし人混みが苦手な自分は、最初から食指が動かなかったのだ。我ながら冷淡な事に、友人達へは未だしも恋人相手の誘い迄も無碍に断ってしまった……。 「私と一緒では気乗りしないの……? 楽しくないの……?」  彼女が気色ばんだ台詞を、半ば独り言の様に呟いた事は明確に憶えている。因みに、僕は最近毎月の貯金から捻出して、交際一周年を記念する高額な指輪を彼女へと贈ったばかりだった。  その指輪は虹を想起させる様に淡く儚い七色の光彩を放つ、特殊な性質を帯びた天然鉱石で設えられた逸品……。そう、そんな高額な記念指輪を贈られたばかりの彼女が、急に素気無くなった僕を訝る事も無理は無い。 只、ここ最近の自分自身でも把握し切れない内省的な精神状態を整理したく、一旦孤独な環境に身を投じたいと僕は望み始めていた。
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