第1章 #2

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             * ―水路から足早な歩調が反響し始めた事に気付いた。  不意に僕の鼓動は加速し始める!  地下の構造上、壁に反射した音が茫洋となり多方面から反響音が耳を覆う様で、当初はそれがどの方向から響いて来るのか判断が付き兼ねた。只、現状に於いて言える事は一つ。 ―地下下水処理場に自分以外の他者が潜入した、と言う抜き差しならない事実だ。  何者が下降して来たのか? 下水処理場の作業員か、それとも矢張り警察の捜索隊か……? どちらにせよ長居は禁物だ。仮にその何者かが警察だとすれば、正直想像以上とも言える捜査の進度だ。  まず僕が懸念と後悔に囚われるのは、ここ迄の道程で食後の痕跡を残して来てしまった事だった。若し警察が地下へ潜入し僕を追跡し始めているとしたら、これ程明白な追尾の筋道はあるまい。それは丸で道中にパン屑を点々と撒いて行ったヘンゼルの様なものなのかも知れない……。童話との相違はそれが家へと引き返す道筋にもならず、追跡の手掛かりにしかならないと言う事なのだが。  ともあれ僕は気を取り直し、現状から逃げ切る為に足音を反響させない方法を即興で考案した。  靴を脱ぎ捨てれば又それも逃走時に於ける痕跡の一つになってしまう為、敢えて靴の上から靴下を覆う様に履いたのだ。これならば、足音の反響は軽減出来る上に足跡も残らない。  六角形状になった蜂の巣の如き迷宮を、足音を殺す様に自重しながら速足で歩を進める。何者かが追手だとしても、これだけ複雑に入り組んだ下水道では簡単に僕の所在は掴めない筈だ。外部者の存在を事前に察知出来た事は幸運だった。 ―未だ捕まる訳には行かない……! そして今なら僕は逃げ切れる、逃げ切って見せる……!!             *  可笑しい。僕は足音や足跡が気取られない様な工作を施し、慎重さを失しない侭俊敏に逃走を謀っている筈なのだ。地下道は眼前がやっと視認出来る程度の薄闇に包まれているし、方向感覚を失ってしまう程に複雑な通路構造となっている。僕はこの迷宮を、時には敢えて遠回りすらする様に方向転換しつつ進行していた……。
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