第1章 #2

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……こうして数日間に渡り、警察からの執拗な事情聴取は行われたのだった。その上、犯人が彼女の自宅へ逃げ込んで来る可能性も想定される為に、警察は延々と居座り続ける姿勢を崩さない。彼女は一時も息吐く間が無かったのだ。  そもそも警察から入念に事情聴取された所で、彼女が提供出来る有益な情報等一片も有りはしないのだが。一時期疎遠になりかけていた上に、恋人である筈の自分自身へも一度として打ち明けられた事の無い彼の内心。犯罪へ踏み切る前に長広舌を振るった彼の犯行声明……。  彼がそんな風に煩悶を募らせていた事自体、彼女には全く察知出来無かった。今にして振り返れば、時折心ここに在らずと云った風情で物想いへ耽っている時も見受けられたかも知れないが……。  ふとした一瞬、置物の様に微動だにせず職務を真っ当している刑事達の仏頂面が、彼女には異様に疎ましく想えた。しかしそんな閉塞した状況での鬱憤も、彼女は直ぐに自制しようと視線を逸らす。見方を変えれば、現在彼女は警察から24時間体制の保護に遇されていると云っても良い。  彼氏……、現在では精神医学用語から准えて『エス』と俗称される彼氏は、素顔も身元証明も全てを包み隠さず世間へと開陳した。現在彼の実家へマスコミやパパラッチが連日大挙し、両親達がその対応に逼迫している事は想像に難くない。そして、更には大学関係者、同級生、友人、隣人へとメディアの質問攻勢は波及するだろう……。そこ迄食指が伸びれば、当然最後に記者達が嗅ぎ付ける格好の獲物は通り魔と交際していたとされる恋人の存在だ。  加えてマスコミだけに限らず、当事者や関係者の自宅を突き止めた市井の行動は予想の範疇に収まらない。現在世論は激震している。エスの意想や行動を民草の代弁者として礼賛する信者層と、一種の国粋主義者達に由る讒謗とで、真っ向から対立を見せているのだ。時代を席捲するだけの影響力を放ち、毀誉褒貶を受けるエスとその関係者達を、過激団体がこの侭看過するものだろうか? 一種の政治思想者達の暴力的威圧を危惧すれば、身辺を常に警護してくれる存在は有難いものとも云えた。 ……そして数刻が経つと刑事達の様相が変わり、俄かに忙しなくなり始めた。自宅での待機が長引き彼女にも疲弊の色が翳り始めていたのだが、突如周囲の空気が張り詰められ思わず神妙に背筋が伸びる。 「あの……、何かあったのでしょうか?」
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