一人目「楠小十郎」

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刹那、彰の姿が消えた。 いや、消えたわけじゃない。 僕の一瞬の隙に、素早く頭上高くに跳んだんだ。 隊士や向き合っている僕は、その素早すぎる動きに着いて行けず、消えた様な錯覚に陥ったんだ。 でも、気付いた時にはもう遅い。 音もなく着地して、彰は僕の背後に。 そして凄まじい速さで間合いを詰め、僕に一撃を放っていた。 場に木刀がぶつかる音が響く。 でも、それは彰が一本決めた音ではなく、彰の木刀が弾かれた音だった。 木刀の転がる音が虚しく道場に響き、彰の喉元には僕の木刀が突き付けられていた。 「…沖田くん、強くなりましたね。」 彰はニコッと微笑んだ。でも、僕は何も答えない。 ただ黙ってうつむいていた。 「…さて、そろそろ昼餉の時間ですね。皆さんの稽古はまた午後にしましょう。」   まさに鶴の一声。彰の一声で隊士達が次々と出て行った。 道場に一人残された僕。 さっきまで彰と打ち合っていた木刀を、その手を、見つめた。 「山南さん、……いや、彰は。本気なんか出して居なかった。」 そして、ぽつりと呟いた。 その手に握られた木刀は、彰の打撃を受けたことでひびが入り、歪んでいた。 それは、本物の刀であれば折れていたという事。 試合に勝つこそすれ、刀が折れると言う事は、僕にとって“武士としての負け”を現していた。 それに、最後の心臓を狙った突き。 彰はちゃんと撃ち込まず、寸止めをした。 これが真剣勝負なら僕は死んでいたし、だから彰は木刀から手を離した。 ああ、きっと。 試合をするっていった時から、コレを狙ってたんだろうな。 彰、あれで意外と負けず嫌いだから。 「僕は、……また…負けたのか、彰に。」
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