1.1.部屋

3/4
前へ
/75ページ
次へ
「しかし、世界は再び暗黒の時代を迎える。高収穫性の穀物を襲った原因不明の疫病だ。穀物は収穫を前に一斉に枯れだした。為す術はない。あらゆる栽培方法が試された。が、穀物は種としての寿命を終えたかのように枯れ続けた。種子は発芽せず、培養された組織は腐敗した。備蓄されていた食糧が底をつく前に、失われたと考えられていた争いが、生存のための壮絶な争いが始まった」  おじさんの熱弁は終わりそうにもなかった。  椅子に座った少年の足は、まだ床まで届かない。痩せ細った足をぶらつかせながら、それでも少年は我慢強くおじさんの話を聞いていた。おじさんの話は嫌いじゃない。滅亡した世界の不思議な話を聞くのは面白い。けれど、分からない時はずっと分からない。  だいぶ前の話だ。おじさんが本棚の中から文字ばかりじゃない本を取り出し、見せてくれたことがある。鮮やかな色の「ムシ」が並んでいた。滅亡した世界に沢山いた、指より小さい生き物だ。今はいない。この世界にはムシはいない。いるのかも知れないが自分は見たことがない、おじさんはそう言っていた。おじさんも本に書いてあることを全部知っているわけじゃない。ムシもトリもケモノも、山羊女の宮殿を取り巻くこの世界にはいない。そもそも、生き物ってなんだ。人間ではない生き物、そんなものは、この世界にはいない。この世界には人間しかいない。赤い堀の外側の居住区には男たちしかいない。赤い堀の内側には剣士たちと衛兵がいる。世界の真ん中に聳える宮殿には審査員のおばさんたちと、山羊女がいる。山羊女は宮殿にひとりで暮している。  宮殿の尖塔からの赤い光が弱くなってきた。いい加減、食事を済ませてしまわないと、世界が夜になってしまう。  いつまで経ってもぶつぶつ言いながら本を読み続けるおじさんに食事のことを聞くのは気が引けた。少年はそっと椅子から降りようとした。 「お、こんな時間か」  おじさんがようやく尖塔の赤い光に気がついたようだ。本を閉じ、ゆっくりと立ち上がる。おじさんの背丈は少年の倍近くある。居住区の他の男たちと比べて極端に大きいというわけではない。少年が小さいのだ。  少年はキッチンに向かうおじさんの後についていった。おじさんはやかんに水を入れ、コンロにかけた。戸棚からカップを取り出し、スープの素を入れる。沸いたお湯を注ぐと食欲をそそる匂いが漂ってきた。
/75ページ

最初のコメントを投稿しよう!

33人が本棚に入れています
本棚に追加