第1章

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「大鴉」、「コリントの花嫁」…。お気に入りの幻想浪漫奇譚を順繰りに読みつつ、薔薇のお茶を飲む。ピローに凭れたままうとうと微睡んでしまったらしい。…何者かの気配に目覚めた。 ちり、と総毛立つ。漸く眼差しだけ窓辺へ向ける。お気に入りの薔薇のコサージュに影が揺れたように思えた…。微かに漂う華の薫りはマリナ・ド・ブルボン。羽音がした。部屋を見回し…何事も無さに緊張を解く。喉の渇きを覚え、カップに手を伸ばす。 …音も無く、指が重なった。 『私に気付くか』 しなやかな手の甲は私より遥かに大きい。顔が…上げられずにいる。新月を彷彿とさせる全き夜…その声は闇夜を切り裂く雷鳴。凍てつく夜気。冷たくはない…寧ろ穏やかな朗々たる美声だ。 なればこそ、応えてはならない。眼にしては―ならない存在なのだと識っている。それは直感。 彼は器用にカップを取る。喉を滑り落ちていく音だけが耳朶に響いた。 逃げ、る…どうして、どうやって?動いたら生命を無くすかもしれないのに…? …解っているのに怖くはない。魅入られる…こういう事なのだろうか? 『百年もたてば、創ることは容易い…か』 微量に懐かしむ声色。意識をー向け過ぎてはいけない、それなのに離せない…この気配を、この刻をこの声を! 髪に――指先が触れる。甲から腕へ肩へと迫る指先が暗示をかけていく…。 『ごく微量だ。畏れる事はない』 「離、し…」 声が掠れる。こんな時、刃向かう力があると、自分ではそうだと信じていた。でも…彼等にとっては私は糧、或は贄でしか有り得ない。何かを必ず失う―解っていて、なお。 『―何を泣く』 もう魅入られているのならば―これ以上畏れる事など無かった。髪が頬に触れるより早く、彼を見据えた。 緩やかに波打つ漆黒の髪。色を持たぬ程澄み切った月銀の瞳。白磁器の肌。薄い唇。目立たぬ為か漆黒のコートに身を包む。微かに見えるベストは濃灰色。三揃えだろうか。細く見えるが、しなやかに置かれた指先の力はその底知れぬ強さを伝えていた。 『冬月夜―』 ―え?彼の銀月が輝きを増す。――!生命を育む暖かな光…陽が姿を消した…?首筋に激痛が走り、緩やかに甘やかな疼きへと変わった。吸血、鬼…?僅かに傾いだ身体。彼は馴れた仕草で支えたまま私の生命を奪う―。血を失う事…生命が彼へと流れていくのが判る…。このまま、死ぬ? 不意に唇が離れ―彼は私を横たえる。
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