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が、実は父石舟斎から「伊達政宗は幼少期に豌豆瘡(わんずかさ:天然痘のこと)を患って失明した時、自らの目を抉り出して飲み込むことで母の心労を癒したもじゃ」という話を伝え聞き、対抗して考え出した嘘である。ちなみに最近の石舟斎は語尾をいつも「もじゃ」としていた。これは武蔵の幼馴染であるおつうが、現在柳生の郷に逗留している為である。「かわいい」とでも言ってもらいたかったのだろう。おつうはドン引きしていたが。ああ、そうそう、十兵衛が失明した実際の理由は、虫眼鏡で太陽を見るという、児子でもやらないような下らないミスによるものだ。アリなど焼いていたから天罰が下ったのだろう。神様は子供にも容赦ない。この後しばらく家中で「うっかり十兵衛」などと呼ばれて笑われたことが、今でも十兵衛のトラウマである。先頭に立って笑っていた石舟斎になど、マジで殺意を抱いたものだ。それも今ではいい思い出になっている。嘘だろ。
そんな十兵衛は、二人を見ると開口一番言い放った。
「許さん」
「は? 何が?」
「なんなんでしょうねっ」
世紀末の覇王ですら逃げ出しそうな憤怒の形相の十兵衛に、新兵衛と澄は呆然と聞き返した。ぱんぱんに膨張した筋肉で、着物が破れんばかりの十兵衛の前に、二人はちょこんと正座している。が、幽霊である澄は安定が悪いらしく、気を抜くとすぐにふわふわと漂いだした。
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