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朝靄に霞む柳生城の裏門から、旅装束を纏った男が現れた。小鳥の囀りに起こされたのか、ぽつぽつと蝉の鳴く声も聞こえ始めた。清廉な朝だった。その旅立ちを象徴するかのような早朝だった。日はまだ山あいからようやく頭を出したところだ。その光で、山々は黄金色に染められてゆく。
「ええっと。方位計に、小日時計。酒器に印籠、矢立、と。あとは」
「これ、新兵衛。小田原提灯を忘れておる。山の夜道など行かねばならぬこともあろう。これは旅用に折り畳める、わしも使っていた物だ。持って行って損はない」
「あ。じゃあ、火打石も必要か。昨日の晩に準備は確認したはずだけど、やっぱりどこか抜けてるな。ありがとう、兄者」
「うむ。お前にとっては初めての旅だからな。至らぬもやむ無しであろう」
裏門に現れたのは、新兵衛だった。その後ろから、十兵衛も続いている。新兵衛の着る真新しい藍色の着物の背には、柳生家の正式家紋である吾亦紅(われもこう)に雀紋が白抜きにされている。夏用の手甲に、足には脚絆。完全な旅姿だ。
「これも忘れてはならんじゃも」
「あ! 往来手形! うわー、危ない。これが無かったら、関所なんか通してもらえないところだよ。良し、路銀は持ったし、駄賃帳に為替も持った。もうこれで安心だ」
さらに後ろから続いた石舟斎が、新兵衛に往来手形を手渡した。穏やかな表情の中には、我が子の成長を喜ぶ色が溢れていた。
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