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「くすっ。そうですね。あたし、なんであんなに怖がっていたんだろう。ごめんなさい、幽霊さん」
「ほえ? あ、い、いいんですよっ、そんなことっ。私、やっぱり幽霊ですしっ。怖がるのが当然ですっ。むしろ、新兵衛がおかしいんですからねっ」
「俺は何もおかしくない。むしろ普通。みんなの方がおかしいんだ」
「あは。あはははははは」
茶屋の娘、おかつの楽しげな笑い声が、朝の街道を渡ってゆく。気づけば、周りに澄を怖がる者はいなかった。
ひとしきり三人で話したあとに茶屋を出た。新兵衛は「またな」と去り際に手を振った。おかつも「ええ、また」と手を振り返す。おかつは、新兵衛の旅装を見ても何も聞かずにいてくれた。新兵衛には、それがなぜだか嬉しく感じた。
――今生の別れではない――。
おかつが、そう言ってくれているからだ。去りゆく新兵衛には、その後に流されたおかつの涙など知る由もなかったが。
「ねぇ、新兵衛」
「なんだ?」
しばらく歩いたあと、澄が不意に新兵衛に呼びかけた。
「でもね。私、嬉しかったんです、本当は。新兵衛が、私を、私なんかを守ろうとしてくれたこと。出会ったばかりで、何の義理もない私を、守ろうとしてくれたこと……」
澄が新兵衛の背中に寄りかかった。そっと、優しく、控えめに。
新兵衛は「そうか」とだけ答えて歩き続ける。山あいからは、すっかり昇った日が二人を照らす。朝靄はすでに晴れ、蝉時雨も賑やかに降り出した。
二人の旅が、始まった。
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