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「いえいえ、まだ日は茜にもなってないじゃないですか! 急げばきっと間に合いますよっ!」
「澄。俺の人生に”急ぐ”という言葉はないんだ。もう、意味すら忘れてしまった」
「そんなキメ顔で何ダメなこと言ってるんですかっ! 今の新兵衛、ダメな男の見本みたいになってますよっ!」
「ダメダメ言うなよ。本当にダメな男になるだろう。まぁいいさ。俺ってホントにダメダメだし」
「めんどくさっ! 新兵衛って、こんなにめんどくさい人だったんですかっ!」
「供の人間がいればなぁ。俺を運んでくれるのに。やっぱりお供は必要だった」
「それ、『お供なら、背中の紋所だけで十分さ』なんて、カッコ良く断ってたじゃないですかっ! 私、本気でカッコいいとか思ったのにっ! 私の感動を返せですっ!」
澄はぐいぐいと新兵衛の袖を引っ張って立たせようとするのだが、やはりそこまでの力はない。澄に出来るのは、せいぜい”触る”くらいなものだった。二人がそうこうしていると、峠の上の方から妙な音が聞こえてきた。なにやら随分と慌てているような声である。
「ん? 人? 女の声か?」
「ですねっ。あと、野太い声に、しわがれた感じの声。多分、おじいちゃんですねっ」
「……まだ、なんか混じってないか?」
「……ですねぇ……。なんか、これって……」
新兵衛と澄は、峠道を見上げた。微かな地響き、そして賑やかな声。いや、声は賑やかと言うよりも。
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