龍を目の当たりにした者は、幽霊の存在にさえ気付かない

2/6
前へ
/91ページ
次へ
 空はすでに茜を過ぎて藍色になっていた。宵の明星も輝きを強くした。峠の左右に広がる森には、無軌道に飛び回る黒い影が増えていた。昼に寝ていた蝙蝠たちが、巣から飛び立ち始めているのだ。これから関の宿町まで行くのはもう無理だ。それでも新兵衛に焦りの色などまるで無い。全ての状況を受け入れてしまうのが新兵衛の長所であり、短所でもあった。まぁ、この場合は自業自得なので、そうでなければただの馬鹿なのだが。 「でも、どうして翠玉が桐箱を?」  とっくに野宿で腹を決めている新兵衛には、のんびり話すことも苦にならない。団子を弁償させる為、新兵衛は原因の追求に乗り出した。 「盗んだのじゃあ。きっとそうに違いないのじゃ。恐ろしい龍なのじゃあ」 「まだそんなこと言ってんのか。盗んどいて、返す為に追いかけて来たって言うのかよ? お前、そろそろ素直に礼を言え。いくら温厚な龍だって、そのうち本気で怒り出すぞ」 「にゃああ。お、怒りたければ怒るがよいのじゃ。うちは毛利家が一の姫、星姫なるぞ頭が高いのじゃ土下座するのじゃ生まれたことさえ後悔するが良いのじゃあ」 「俺の人生、お前に出会ったところからは後悔してるけどな」 「うわーっ。じたばたしながら偉そうなこと言ってますっ。かーわいいのですーっ」 「そうであろう、そうであろう。こんなに愛い姫など他にない。星姫は毛利家自慢の姫である」 「可愛いか? 毛利家、本気でそう思ってんの? 俺、マジでムカついてきてるけど」 「ギュオオ」 「ん? なんだ、翠玉?」
/91ページ

最初のコメントを投稿しよう!

22人が本棚に入れています
本棚に追加