波兎

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 東京でも高層の部類に入るその建物の屋上は、一般の人間が安々と入れる場所ではない。しかし平然と胸元にスコープをしまった吉備は、ビルの影に隠れた前田らの姿を目を瞑り想像した。  前田ならば、どう考え、どう動くか。  誰かを巻き込むことを極端に嫌うのは職業柄当然として、狙われる場所が少なく、周囲には人のいない場所を好むはず。仲間が一人いることを考慮すれば、身を隠す程度の障害物が不可欠。前田自身、仲間は守る対象であると盲信しているため、最悪を想定するのは必然。ならば前田自らの身を引き換えに、敵を道連れにしようとすることも考えられる。 「ならば闇に紛れ、身を隠すか。目指す場所はここしかあるまい」  眼下に見えるのは新宿中央公園。病院からほど近く、身を隠す草木もある。そして夜間の人の入りは圧倒的に少ない。都庁の頂上で風を浴びた吉備は、航空機のため闇夜を照らす明かりを背に受けながら、感覚を研ぎ澄ますためいつもの煙草を咥えた。  仕事を失敗したことは一度たりともなかった。しかし状況が進むにつれ、リスクは膨大に膨れ上がった。殺める人数も日を追って増え続け、組の者を手に掛けた頃には三百を超えた。吉備は自分を殺し屋などと語る気はなかったが、外様から見ればれっきとした殺し屋だと、煙を吐いた口端から微かな笑みを漏らした。
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