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キシェの花は、ある夜、示し合わせたように全ての木々が一斉に散り始める。
想い詰め、枝を薄い花びらで一杯に膨らませ、願い叶ったかのように、まず一輪、花を落とすのだ。
その最初のひとひらの落下が目にできる者は少なく。稀に見る幸運な者と言えた。
(なんと場違いな御仁……)
幸運な一人になりたい気持ちにかられ、カリアナは二階のバルコニーから、手摺りにもたれ中庭に満開のキシェの古木を眺めていた。
初夏を目前にする季節は、このキシェの中庭に向かう部屋に居を移している。さほど背は高くはないが、大きく横に張った枝は、夜が深まるほどに、甘やかな香りを風に乗せていた。
ふと、中庭を女主人に案内され抜ける男に目を引かれた。
頭上の花々が、金色の花冠といった趣の美丈夫である。
このような高級娼館でなくとも目を引く人物だが、噂通りの人格ならば、この館はどう考えてもあちらには縁遠い場所のはず。
案内の女は、バルコニーの真下に立ち止まり、紫の扇を開き一ひら揺らす。
カリアナは目を疑った。一呼吸、思案する。
長い静かな数秒の後、廊下の二人は歩みを進めた。
見送って、カリアナはその場に佇んだまま。
紫の扇は、彼への合図。客人だが、通してよかろうか? という。
否なら、何か物を落とす。それを手土産に、お帰りと。
否でないなら、沈黙を。
だが、部屋へ通されたからといって、カリアナを一夜、意のままにできるとは限らない。
すべては、カリアナの気紛れによって操られる。
そんな危うい夜と知っているのか。若い将軍が、よりにもよって、自分を選ぶとは。
背後からの視線は紛れも無く鋭い軍人のものである。
さすがのカリアナも、どうしたものかと思案をめぐらさずにいられなかった。
「どうぞ、ごゆるりと」
女主人の声は倍近くも艶やかに響いた。随分な手付けを受け取った、細やかな礼というところか。ならば、御仁は本気であるということだ。
(何を血迷ってこのような、私でなくとも良かろうに。
それとも、戦続きで気がおかしくなりでも……。
まあどうでもいい。望みであるなら、狂っていただこう。
このカリアナ。そう安くはない……)
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