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「おまえの馬鹿さ加減にため息くらい吐きたくなるわ」
「我らがルミーラ王国の英雄様にため息を吐かせることができたとあれば光栄の至り」
恐怖も警戒も抱かないピールの態度に、変に接することが面倒になってきた。アレスは顔を湯に沈め、熱い湯の中で盛大に泡を出しながら叫んだ後に顔を上げ、前髪を描き上げて大きな湯船から出る。
「先に上がる」
「わかった。私は髪の水気を取るのに時間がかかるから食事には先に行っててくれて構わない」
「あいあい」
おざなりに手を振って脱衣場へ歩いていく背中を見送り、ピールは長く息を吐いて空を見上げた。アレスが取り戻した星空は明るく輝き、数えきることのできない無数の星々がリューネと一緒に流れる雲を照らし、翳らせている。
いつだってあった光景が今、当たり前のようにここにある。いつかこの村の人間もアレスがしたことへの感謝を忘れてしまうだろう。だがそれでも、彼が為した結果は人々の記憶に残らずともここにある。
彼がこの国からいなくなったとしても、彼がいた証は間違いなく残る。
(何を感傷的になっているんだろうな、私は)
苦笑いを浮かべて湯から上がり、長い髪に溜まった水気を軽く絞る。じゃばあ、と足元に溢れた湯が跳ねて脛へとかかった。
髪の毛の水気を取るのに随分と時間のかかってしまった。洗うために持っていかれた衣類とは別に用意された服を着込み、脱衣場を出る。夜風が火照った体を撫でていくのが心地いい。体内の熱気を放出するように深呼吸をし、村の唯一の食事処へ向かう。
「ん?」
記憶を頼りに暗い村を歩き、予定通り食事処を視認したピールは声を漏らした。というのもその入口に大勢の人間が詰め込まれ、入口が封鎖される事態になっていたからだ。何か面白いことでもあるのか、入りきれずにはみ出した村人達は背伸びをして中を覗き込んでいる。一番外側で中を見ていた一人がピールの存在に気付き、人だかりに叫んで真ん中に道を作った。礼を述べて建物に入ったピールはテーブルで勢いよく夕食を掻き込んでいるはずの部下がいないことに困惑し、店主に目を向けて小さく頭を下げてから、調理場に黒い人影が立っていることに気づく。
「アレス、何をしているんだ?」
「ピール隊長、いいところに。ちょうどできたところですよ」
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