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音はなかった。剣を振った腕には物を斬り裂く独特の抵抗すらなかった。
それでもわかる事実が一つ。
「最期の食事はうまかったか?」
根達の壁に一閃、一筋の白い線が走る。その線からふわりと霧が漂い、
線の上部が斜めにずれた。横と高さは百にも達する距離があり、奥行きはすることすらできぬ樹木の壁が。
一仕事終えて満足したかのように魔剣が強く輝き、そして収束すると巨大樹が僅かに傾ぎ、そのまま根元があるであろう根壁の向こうを支点にゆっくりとてっぺんを糸で引かれるように横へ倒れていく。慣性と空気抵抗により長い時間をかけて魔物は巨大な地響きを残してその身を伏せた。轟音と共に発生した揺れは根の壁をも瓦解させ、アレスはというと崩れて来る根を足場にして宙へ舞い踊り、空気の縄を形成すると後ろへ放つ。滞空中に縄は巨大樹のテリトリーの外にあった、今倒れたものと比較すると産毛のように細いそれに絡みつき、主を一気にその木へ引き寄せていく。百マータ以上離れている木にも地響きが伝わっているらしく、不可視の縄から振動を感じながら、マナを感知できないピールからはまるで飛翔しているような姿でその隣へと着地した。
縄を消して一息吐き、傍の木にしがみついていたピールを見ると、彼は目を細めて小さく微笑み、
「お疲れ様」
短くそう口にした。最初こそ不安そうにしていたが、今の彼はそんな様子は微塵も感じさせない。彼があの巨大樹を打倒し、無事に戻ってくることを理解していた。その事実が起こることを知っていた。そんな雰囲気だった。
アレスもそれに対して肩を竦め、
「帰るか」
短く答えた。
近くの木に引っ掛かっていた布を回収し、刃毀れ一つないその剣身に巻き付けて南下する。
「直にこの森も元に戻るだろ。マナの影響もあったとはいえ、あんだけ他の養分吸って巨大化してたんだ。あっという間に他の木々や動物の餌になって自然に還るさ」
たぶんな、と不確定な本音を付け加えるアレス。
「何度も言ってくどいとは思うが、君は強いな。その剣の力もあるだろうが、それを扱えるのは君の強さだろう」
「いつも言ってるだろうが、俺は最強だって」
(さっきの不安はどこへ行ったのか)
クスクスと笑うピールにアレスは不満げに表情を歪め、布に収まった魔剣を軽く突きつける。
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