満月

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「…満月だなあ…」  人気の無い道を歩きながら、玖珂静香(くがしずか)は空を見上げた。 「はぁ…」  カバンを抱えながら何回目かのため息をつく。塾はもう始まっているというのに、静香は全然違うビルの駐車場で立ち尽くしていた。  道に迷ったのではない。サボリだ。  いけないことだとは思っている。しかし静香にとっては当然の自己防衛。  これしか方法がなかったのだ。  だって、塾にはあいつが――  学校の教室の風景が蘇る。  青い空に白い雲。窓から見える景色はのどかなのに、教室の中に響き渡る少年少女の黄色い笑い声、机が倒れる音、壁に何かがぶつかる音、自分の悲鳴。  「―なぁ」  低い声がして、静かははっと顔をあげた。  少し離れたところに、中年と見える男が立っている。       (出た。変質者)  出ることは分かっていた。夜中に14歳少女のひとり歩きなど、彼らには格好の餌だろう。  静香はコートの左袖に右手を突っ込みながら問いかける。 「何ですか?」 「ちょっと来てくれねか」  ――変質者決定。  袖の中の棒状のものを握り締める。突起を押すとちき、と音が鳴った。 「何で?」  左足をゆっくり引きながら突起をちきちきと押し進める。 「ええからええから」  準備完了。 「嫌です」  静香が袖から棒状の――カッターナイフ――を引き抜こうとした。  そのとき、 「――何だ」  異質な雰囲気を含んだ声がして、彼女の前に何者かが立ちはだかった。 こちらに背を向けているので、年齢は分からない。しかし、老人でないことは確かだ。長い髪をサイドテールにまとめ、着物――狩衣(かりぎぬ)というやつだろうか。変わった衣装を纏っている。 「この娘に、何か用か」  突然現れた人物は、変質者から静香を隠すようにして再度問いかけた。  感情のこもらない、低い声。 「もしや、どこかに連れ去ろうというつもりではあるまいな」 「い、いや…そんなつもりは…」 「ならば立ち去れ。私が相手になろう」 「い、いや悪かった。じゃ、あ、気をつけて帰れよ!」  変質者の走る音が遠ざかっていく。やがて、音が聞こえなくなると狩衣のひとがゆっくりとこちらを振り返った。  静香は、息を呑んだ。            
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