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<季題>
蟇
<季節>
啓蟄
蟇:
ひきがえる。自然における再生の象徴。展開して生命それ自体を示唆。「蟇」は一般に夏の季題とされるが、この句では啓蟄を念頭に、限定して初春を表す季題とする(後述「哉」註釈参照)。
厳密には無尾目ヒキガエル科の600種足らずを指すが、敢えて生物種を限定せずより広く無尾目全般、即ちカエルを指すものとして好い。
さらに広く全般に、節足動物(特に昆虫)・環形動物(即ち蠕虫、ミミズ等)等冬籠りを終了した動物の諸種も、併せて看過すべからず。この句の詠む「啓蟄」の語は、そもそも土中の虫が春に地上へ再出する様を表すものであるため。ただしカエルは、「蛙」の字綴の通り獣よりむしろ虫として捉えられてきた経緯もあってか、昨今では啓蟄に覚醒する動物の代表と見做されることも少なくない。また、カエルによる昆虫や蠕虫の捕食は食物連鎖の一環を成し、これがさらに生態系の一環をも成す点に、留意すべし。
轍:
わだち。「輪立」に由来。通り過ぎた車の車輪の跡。
この句での第一義は、人為の、特に文明の象徴、と解釈せよ。成語『轍を踏む』を参照しても好い。
あと:
「後」かつ「跡」。仮名綴については、修辞的な掛詞よりもむしろ、両義性を持つ語として解釈すべし。
前者では、自然と人為の邂逅が生む不可避な対決を、そしてその対決が生む残酷な結果を、事実として直接的に淡々と描写することにより、翻って無情と悲哀を表す。「上」に置き換えた読解が可能。
後者では、「轍」の語自体が「跡」の意を持つため語法上は過重用法となるが、「跡」の語が「足所(あと)」の意に由来することから、敢えてその過重表現を採用する。車輪の「跡」は人の「足所」であり、さらに人が車輪により「足」を置いた「所」はその直前蟇も「足所」として踏んでいる。即ち、それぞれの生の軌跡が偶々同じ「足所」で不適時に邂逅してしまったがために生じた、死の非業こそを、下句の「骸」と併せて表す。
の:
格助詞。「あと」に掛かる前者は単純に属格として好い。「骸」に掛かる後者は「において(在り)」の意で処格の役割も併せる。
骸:
むくろ。即ち死骸。言うまでもなく、「轍のあと」の骸、即ち轢死した蟇のそれを限定して指す。
死を直接的に表し、一般に倣って無常を、また句想への連関から無念・不条理等を象徴する。
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