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こういう時に限って。
そう、こういう時に限って、店内の人影はまばらで、晶は亜澄の横顔を見てしまう。
いつも見ている真っ赤な顔の羽山詩織の正面で、うっすらと、嬉しそうに頬を染めているその顔を。
晶はぼんやり、亜澄の初恋の女子大生も、そういえばあんな感じだったな、と思い出す。
黒髪に色白、意思の強い瞳を持った、背筋を伸ばした自立した女性。 晶はカクテルに必要な酒が切れたといって、奥に引っ込んだ。
背後の喧騒から逃げるように、暗いロッカールームに入り、背中でドアを閉め、そのまま座り込む。
「可愛い女の子にあれだけ熱心に口説かれれば、誰だってその気になるよなぁ……」
情けない声、と、かつて、友達だった頃の亜澄が聞いていたなら言っただろう。『そのままビルから飛び降りそうだな。お前、その年齢で空が飛べるとか思うなよ? あれはアンパンマンの実在を信じていなきゃ出来ない事だからな』
思い出したのは、小六の秋、運動会の応援合戦で隣のクラスに負けた時の亜澄の言葉だ。珍しく弱音を吐いた晶に、亜澄はこう言った。
『アンパンマンには愛と勇気しか友達がいないが、お前には俺を含め多くの友達がいる。自分を卑下したって、何もいい事無いぞ』 「自分を卑下したって、ね……」
暗闇の中、ドアの隙間から差す明かりに照らされた床を見つめる。自分の周りだけ重力がかかって、ずぶずぶと地面に沈みこむような気がした。
自分を卑下する事なら、もう随分としている。自分の性意識の畸形さに気づいてから、ずっと。亜澄への想いに気づいてから、ずっと。
後ろめたい。
楽しいと思う度、嬉しいと思う度、美しいと思う度、生きてて良かったと思う度。
この美しい世界に、自分のようなものが存在する事が、後ろめたい。
今まで、互いに向かい合っている姿しか見た事のない、羽山詩織と亜澄が並んで立っている姿を想像してみる。
――美しかった。美しい事が、悲しかった。
例えば自分が彼女の代わりに立ったとして、それが美しいと誰が思うだろう? く、と、自嘲に喉が鳴った。
「晶くん、気分でも悪いのかい?」
ドア越しのノックに、蹲り俯いていた晶は顔を上げた。店長の声だ。
「調子が悪いのなら、今日はもう帰っても構わないよ。お客様も少ないし……詩織ちゃんが入ってくれているから、私と二人で回せると思う」
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