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「……ずっと、接客業でお客様と接してきたけれど、今まで余裕無くて……社会人になってから、初めての恋愛なんです」
グラスを両手で持つ手が、小さく、白く深夜の蛍光灯の下で映えた。
「……うまくいくよ。あいつ、興味ない女は一言で切って捨てるもん。高校までは、少なくともそうだった」 言い終えると、晶はグラスに残った氷を一気に口に入れ噛み砕いた。ありがとうございます、というような事を羽山詩織が小声で言ったようだが、噛み砕く音と、急激に氷で刺激された口内へ意識は集中し、晶は苛立ちをそのまま口腔内の氷へとぶつけた。
数日後。
都内の有名な水族館で、羽山詩織と永井亜澄は会っていた。一通りの展示を見て終わると、羽山詩織は階下のレストランで食事を摂る事を提案し、永井亜澄も了承した。
食事がデザートまで終わった時、羽山詩織は改めて、永井亜澄に交際を申し込んだ。
しかし、返答は彼女にとって、全く予期しないものだった。
カウベルの音と共に現れた小柄な体躯に、晶は一瞬瞠目し、それから、苦々しげな視線を向けた。「いらっしゃい」の言葉にも棘は表れ、注文される前に荒々しく用意した水を直接カウンターの上に乗せる。目の前の席には長年思い続けた幼馴染。自分から彼と話そうとしたのは、そういえば再会してから初めてだ。
「……お前、羽山さんに何言ったんだよ」
視線を合わせれば、自分と同じく左頬に湿布を貼った永井亜澄の顔がある。同時期に二人が別々の左利きの人間に平手を喰う謂れもないから、左手の主は同一人物に違いない。そして、その人物の名前は、羽山詩織という筈だった。
「……交際を申し込まれたから、断った」
亜澄は文句も無く、出されたグラスの水で唇を湿らせた。その表情は、鉄面皮とあだ名された高校時代と全く変わっていない。晶は思わずカウンターに両肘をついてつめ寄った。「その時、余計な事も喋っただろ」
「別に……理由を聞かれたから、答えただけ」
視線を伏せた亜澄に、晶は思わず噛み付いた。
「その理由で、こっちは張り手喰らったんだぞ!!」
「そっちに被害が行くとまでは思い至らなかった。その点は謝る。――でも、俺は嘘はついていない」
言って、静かにグラスを呷る。その淡々とした調子に、何だか毒気を抜かれて、晶はカウンターにうつ伏せに寄りかかった。
「……お前、どんな断り方したんだよ。ちょっと教えてみろよ」
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