第1章

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――今日も来た。  カウベルを鳴らして重厚なドアの向こうから現れた小柄な体躯の幼馴染の姿を見て、和泉晶はこっそりとため息をついた。郷里を同じくする幼馴染、永井亜澄は、大学に入学を果たし東京へ出てきてから、何故だかこの繁華街の一隅にある小洒落たバーに通い始めた。酒の一滴も飲めないくせに。そして、ウーロン茶一杯で晶の退勤時間ぎりぎりまで粘る。まるで、晶に用でもあるかのように。けれど、それはない。会話を交わしたのは一度きり――初めてこの店を訪れた亜澄に、混乱した晶が声をかけた一度だけ。 「亜澄、何でここに?」  問いかけられた亜澄のほうも、驚いているようだった。目をわずかに見開いて、学生時代、鉄面皮とあだ名された顔をゆがめる。「――散策」 「散歩なら昼間に公園でも歩けよ!」 「夜の街の散策がしたかった」 「あ、そう。相変わらず意味分からん」  カウンター越しに立ったままの会話もなんなので、というか、客ならまず座らせろ、という背後の店長の視線に負けて、晶は亜澄を奥の席に案内した。誰の指定席というわけでもないが、一人静かに飲みたい客に座ってもらう席だ。なんとなく、亜澄もそういうタイプだろう、という気がした。それに、彼をあんまり人目にさらしたくなかった。  身長は百六十と少し、肩幅は狭く色黒で、華奢な体格。そして顔も十人並みにも関わらず、亜澄には妙な迫力があった。威力、と言い換えてもよい。奥二重で目つきが悪いせいなのか、学生時代、先輩や教師から生意気だとそしられる事が何度かあった。それをひと睨みで黙らせて、滔々と自分の意見を言う。亜澄はそんな生徒だった。高校二年――晶が家を出、同級生で無くなるまでは、少なくとも。「東京に出てきたん? 大学か、お前、成績良かったし」  席に座った途端「水」と注文されたため、ペリエをグラスに注ぎながら晶が尋ねると、亜澄は頷き、「首都工業大学」と告げた。 「うわ、国立」  カウンターにコースターを敷き、ペリエを注いだグラスを載せる。亜澄は胡散臭そうな目つきでそれを眺めていた。 「高そうな水だな」 「実際、高いんだよ」  晶は汗を掻いたグラスに指を当て、指にたまった水を使ってカウンターに数字を書いた。亜澄はそれを見て口笛を吹く真似をする。 「なるほど、東京の水は高い」 「東京の、じゃなくて、こういうバーの水が高いんだ。水道水は安い」 「そうか、なら安心」
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