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名前を呼ばれハッと我に返る。最近常連になってくれた女子大生が、赤い顔でグラスをこちらに向けていた。あまり酒に強そうではない。強そうではないのだが、ある日二次会でこの店に流れてきてから、連日で通ってくる。彼女の目的は明らかに自分だ。その自覚が晶にはある。だから、すまないな、と思う。心の中で詫びる。貴女が思っているような人間では、自分は決してありえない。
新しくバーテンダーが入り、シフトが遅番になった。オーナーの姪というその女性バーテンダーは、亜澄よりももっと小柄な、意志の強そうな目をした女性だった。その彼女と、亜澄が親しげに会話を交わしているのを目の当たりにして瞠目したのが、つい昨日。
店長によると、女性バーテンダー――羽山詩織という名だ――がチンピラに絡まれていたところを、亜澄が止めに入ったらしい。小柄で華奢な亜澄に、チンピラは吹けば飛びそうだとでも思ったのだろう、出さなければ良い手を出した。結果、飛ばされたのはチンピラの方だったというわけだ。
「亜澄くん、ああ見えて少林寺やってるんだってね、意外だよなぁ」
おっとりとした口調で店長が嘆息していた。すっかり詩織にお株を奪われた店長は、他の舌の肥えた客層を相手にし始め、入り口に近い位置にいる晶は年代の近い若い世代の客の相手をする。彼らの回転率は早い。飲むのも早ければつぶれるのも早く、次の店へと流れるのも早い。この店の落ち着いた雰囲気は、若者には一時休憩的な感覚でしか味わえないものらしい。やたらボディタッチの多い真っ赤な顔の女性客をあしらいながら、晶は横目で奥の席を見た。酒の所為だけでなく、赤くなっている詩織の横顔が見えた。亜澄の顔は、人波にまぎれて目視できなかった。客観的に見て充分可愛らしい詩織の顔を赤くさせている亜澄の顔など、見たくもなかったが。「和泉くんって、亜澄くんと同郷なんだって? 昔の話とか聞いていい?」
ある日、店内清掃の最中に、詩織がそう尋ねてきた。家出してこの店に雇われたという晶の事情を知っているのか、きちんと許可を取ろうとするところが好ましい。好ましい、が、駄目だ。
「ごめん、あんまり思い出したくない」
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